県道38号浦添西原線 Vol.1

★県道38号線
路線名:浦添西原線
起点:浦添市屋富祖
終点:西原町嘉手苅
総延長:9,013m
実延長:8,945m

愛称・通称
屋富祖交差点〜浦添市大平県道251号交点:屋富祖大通り
浦添市大平インター〜安波茶交差点:市役所通り
安波茶交差点〜西原入口交差点:警察署通り

復帰前の状況
琉球政府道38号線


屋富祖交差点〜浦添市大平(屋富祖大通り)


県道38号浦添西原線は、国道58号屋富祖交差点から始まります。


屋富祖交差点から、浦添市大平の県道251号、パイプラインとの交差点まで、屋富祖大通りと呼ばれています。通りにはスナックビルなどが点在し、どちらかと言えば夜の街のイメージ知られているのですが、元々は、戦後浦添で最初に発展した商店街だったそうです。


今は閉じらたままなのですが、屋富祖通りの、国道58号線を挟んだ向かいに、米軍基地のゲートがあり、ここから基地内に出入りするアメリカ兵や、沖縄各地から集まった基地労働者達、またその家族などで、往年の屋富祖はとっても賑わっていたそうです。


華やかな時代から営業していたのでしょうか?トタン屋根の年季の入った散髪屋さんです。散髪屋さんには味のある建物が多い様な気がします。


背後にビルが迫っていてもがんばってる、小さなお店。おそらく初期の屋富祖通りには、この様なお店がつながっていたのでしょう。


もちろん今でも商店街には違いないのですが、そんなに活気は感じられません。


過去には映画館も三軒あったそうです。こちらは元の浦添オリオンという映画館の跡です。現在劇団大地がアトリエとして使用しているそうです。また、たまに映画も上映している様です。


屋富祖大通り、道路は、最初の信号までは、歩道無しの二車線、信号超えると、歩道と街路樹がありますが、店舗は少なくなります。


信号を超えてしばらく進みます。


国道58号線から入ると、県道38号線は一度左にカーブして、サンパーク通りという市道にでます。県道38号線は、県道251号パイプラインとの交差点から、少しだけ58号線向け一方通行になります。画像、右側の車が出てきている路地が、県道38号線です。


県道251号パイプラインとの交差点です。
この画像で、左右に走っている道が県道251号線パイプラインです。手前側が県道38号、そのまま道なりに右カーブして降りていく道が、市道サンパーク通りです。左側、エッソの看板の下の、細い路地が、県道38号線です。この交差点で、屋富祖大通りは終わります。
屋富祖大通りは、建物が密集して道路の拡幅が難しい為、58号線まで市道がバイパスしている様です。


横丁


屋富祖大通りには、横丁と呼ばれる飲食街があります。県道38号線とは関係がないのですが、屋富祖大通りとは密接なつながりがありそうなので、紹介します。


屋富祖大通りから折れて、まっすぐ入った路地が、「第一横丁」と呼ばれています。画像では閑散としている様なのですが、昼間からカラオケの声の聞こえてる店もあり、結構入っている様でした。また、24時間営業と看板を出しているやぎ料理店もあり、地元の人とのふれあいを求めたい旅行者の方は、こういう所の店に入ってみるのも面白いかもしれません。


第一横丁の横の道が、第二横丁です。


この横丁では、崔洋一監督、映画「豚の報い」のロケが行われました。


かつて第三横丁と呼ばれていた路地です。今は店が数軒のみ。住宅地になっています。


こちらは、しょんべん横丁です。短いですが、たちしょんするスペースが無い程、小さな店が集まっています。看板に「シルバーサロン」という入っている店もあります。シルバーシートのシルバーな世代が集う店、なのでしょうか?


裏通り


屋富祖通りは商店街、横丁は沖縄の人の社交街でしたが、裏通りは米兵の集まる店があったという話を聞きました。歩いてみたのですが、南側の裏道は現在完全な住宅地で、当時の痕跡はまったく見られません。


北側の裏道には、数軒お店がありましたが、これが米兵相手のバーだったのかどうかははっきりしません。ただ、建物の形を見ると、もしかしたらそうなのかなぁ、という気もします。


いつの頃のものなのかはわかりませんが、裏道の壁にひっそりと残るペイント広告。
復帰前のベトナム戦争当時、全米各地から集まった米兵達が、毎晩この屋富祖界隈でも飲み歩いていたそうです。明日の命も知れない激戦の戦地に赴く米兵の中には、宵越しの金は持たない、というのか、酔ってドル札をばらまく者も居たそうで、早朝ここに来ると、場合によっては当時の沖縄の人の月収分に相当する金額のドル札が拾える事もあったそうです。




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