Silent Spring   Rachel Carson

 

 最近、大学からの課題(「地球」「環境」に関する本を2冊読み、A4用紙2枚分それぞれ要約しろというものだった。)を通して一冊の本を読んだ。

古い本なのだが、私なりにインパクトを受けたので紹介してみようと思う。

 

*「沈黙の春」

 その本は、Silent Spring 直訳で「沈黙の春」だ。著者はアメリカ、ペンシルバニア州に生まれたレイチェル=カーソン(1907-1964)。私が購入した新潮文庫の裏表紙には,<歴史を変えた20世紀のベストセラー>と記されている。どんな本か、というと、主要な話題としては化学薬品や農薬がもたらした被害の実情といったところだろうか。発表は1962年、決して新しい本ではない。“環境”をテーマにした本で我々が比較的手にしやすいものでは岩波新書が代表としてあげられるだろうが、その場合わたしは90年代の本をみて古いと感じてしまう。そんな中で現在まで読み継がれている「沈黙の春」。我々にどんな影響を与えてきたのだろうか。

 今、私の手元に一冊の本がある。太田哲男氏の「レイチェル・カーソン」。その中に『沈黙の春』の影響力の大きさ・先駆性の一端を示すエピソードが紹介されているので、引用させていただく。

 

 ―1984年の創刊以来、毎年出版されて広く読まれるようになった『地球白書』の92-93年版の「はじめに」には、ペンシルヴェニア州立大学による環境運動指導者たちへのアンケート調査の一端が紹介されている。それは、その指導者たちが読んだ書物の中で最も影響力のある環境問題関連図書は何かというものだが、その上位2冊が、アルド=レオポルド『砂の国の暦』(1949年)とレイチェル=カーソン『沈黙の春』(1962年)で、第三位が『地球白書』だったというのである。そして、『地球白書1992-93』は、『砂の国の暦』や『沈黙の春』のような「名著と肩を並べることは、気恥ずかしくもあるが何よりの励ましでもある」と描いている。−中略−しかし、『沈黙の春』を開くと、そこには地球温暖化も酸性雨も森林伐採も出てこない。この本が中心的にとりあげているDDTは、多くの国々では使われなくなった薬品である。そのため、表面的に見ると『沈黙の春』はもはやその意義を失った本、局部的問題について述べた本のように思われるかもしれない。あるいは、その冒頭の「寓話」的記述だけを見て、何かリアリティを欠く本だという印象を持つ人がいるかもしれない。だが、『沈黙の春』をじっくり読めば、これが今日の環境問題を実に原理的なところで把握した本であり、「現代」を考えるための必読の本だということに気付くにちがいない。――

 

この本を一言で表すことは出来なく、これだけでこの本を理解していただくこともできない。20世紀ベストセラーになった理由を私自身が理解しきれているかも分からない。ただ・・・とりあえずこういう本です(笑)

 

*レイチェル=カーソン(19071964)

  ペンシルべニア州スプリングデールの農場主の娘として生まれる。ペンシルベニア女子大学で動物学を専攻後、ウッズホール海洋生物研究所などで研究を続ける。1936年商務省漁業水産局に就職し、政府刊行物の編集に従事。’40年に内務省魚類・野生生物局に移り、’52年に退職するまで、野生生物とその保護に関する情報収集にあたった。’51年の『われらをめぐる海』で、生物ジャーナリストとしての地位を確率。’62年に発表された『沈黙の春』は、自然破壊に警告を発した先駆書として、その後の全世界に大きな影響を与えた。(新潮文庫についていた著者紹介より抜粋。)

 

 

*要約 

 以下は、私が今回の課題の際に要約として提出したものである。恥ずかしい話ではあるが、課題に手を付けたのが期限間近であったため、かなりの乱筆である。この本について少しでも参考になる点があればと思うが、『沈黙の春』の素晴しさ(語弊があるかもしれないが、影響を与えるという面で素晴しいと表現しておく。)を上手く伝えることが出来なければ、お詫びしたい。

             

 ――自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。春がきたが、沈黙の春だった。白い細かい粒が、雪のように降り注いだ。・・・

 生命と環境が生命の歴史を織りなしてきた。たいていは環境が作り上げてきたのだが、20世紀に人間が自然を変えた。主に自然の汚染という形で。例えば放射能。核実験で空中に舞い上がったストロンチウム90は、雨に混じって降下し、土壌に入り込み、草や穀物に付着し、人体の骨に入り込むみ、死ぬまでついてまわる。だが、化学薬品も放射能に劣らぬ禍をもたらす。

 化学薬品の大部分は「自然と人間の戦い」で使われる。虫や雑草をやっつけるために、1945年前後から塩基性の化学薬品が作り出され、売り出されている。撒布剤・粉末剤・エアゾールというようにやたらと使われる。しかし23の昆虫の為に生命ある全ての環境を破壊する。「殺虫剤」ではなく「殺生剤」と言った方が相応しい。DDTが市販されてから、より毒性の強いものが必要となる。化学製品スプレーの歴史は悪循環の連鎖だ。一度殺虫剤を使うと、昆虫はそれに免疫のある品種を生み出すからだ。そして化学製品によって突然変異等を引き起こすことになる。害虫を防除する必要がないわけではなく、コントロールは現実から遊離してはならないということだ。

 第二次世界大戦で、人を殺す研究の中から合成殺虫剤が生まれた。戦前の無機系の殺虫剤とちがうのは、生物学的に大きな影響を及ぼす点にある。体のうちでも直接生命と影響がある部分に入り、時には死に至る変化を巻き起こす。いまでは化学薬品の汚染を蒙らない所など殆どない。

 自然資源のうちで、水が最も貴重となっている。殺虫剤による水の汚染は、色々なところから汚物が流れ込むからであり、人間の環境全体の汚染と切り離すことが出来ない。畑や森林に殺虫剤をまくとゆっくり地面にしみこみ、或は川にそのまま流され、海へと向かう。こうして大規模な汚染になる。そして水は循環する。また地下水として、殺虫剤を撒布していない地域にまで及ぶ。水は生命の輪とは切り離して考えられない。水中の物質は、食物連鎖を通して循環し、濃縮されていく。悪影響がおこらないとされる量を撒いたとしても、化学製品は長い年月消えることはなく、生物を通して濃縮されていく。そして死に至らしめる。

 土壌も汚染されてしまう。水を通して、直接撒布されて、そして植物へ取り込まれていく。ミミズが汚染され、それを餌とする鳥が死ぬ。また、邪魔な植物(人間にとって)を駆除する為にも薬はまかれる。土壌や植物、虫、鳥、全てが持ちつ持たれつで生活しているから、一つが駄目になると他も連鎖して汚染される。23種類の邪魔な植物をなくすのに除草剤をつかうのでなく、選択性スプレーという方法をとればよい。そして一番の防除方法は他の植物を植えることだ。選択性スプレーを使って一度きちんと処理をすれば少なくとも20年間

はスプレーをしなくてよい。

 一体何のために自然を破壊するのか。小さな虫を殺す薬品が他の動物や人間に害がない等ありえるのか。そんなはずはない。

 そして鳥は鳴かなくなった。毎年沢山の鳥がいたのに、ニレの木にDDTが撒布されるようになると少しずつ姿を消していった。ニレの木を沢山植える、そのニレの木が枯れるのを防ぐために薬品を撒く、すると今度は鳥達が死の淵へおいやられる。ニレの木ばかりでなく沢山の種類の植木が植えられていればこんなことはおこらなかったのに。<殺虫剤を撒布する側は、スプレーは「鳥には無害だ」と言う。しかし、コマツグミは本当に殺虫剤の毒にあたって死ぬのだ・・>汚染された地域のミミズを食べた鳥達は、次々に死んでいく。卵を産んでも、雛は孵らない。世界いたる所から、鳥が危機に瀕している、との声が届く。どの報告にも繰り返されている共通のテーマは「殺虫剤が登場したために、野生生物に死が忍び寄る」だ。作物の害虫駆除をするために、上空から薬品を撒く。白い粉が街に降り注ぐ。もうそこは、汚染された街となってしまう。人間自身も、虚脱状態に陥り、死ぬものもいた。自分達が作った災いは、自分達の元に戻ってきてしまうのだ。

 「循環」はこんなところにも現れる。森林で虫が大発生した。害虫のために木が丸坊主になることを心配した営林署では防除対策を実施することにした。その森林は何本もの河川の水源であり、鮭が登る川だった。鮭を心配した狩猟局との間に何度も打ち合わせが行われ、殺虫剤使用をできるだけ減らした。しかし、それにも拘らず、少なくとも主な四つの河川の鮭は全滅した。そしてその水がまた海まで流れていくのだ。

 世界が汚染していくのは殺虫剤の大量スプレーの為だけではない。スーパーマーケットや薬局に、おそろしい毒薬が、こぎれいに並んでいる。子供が手をのばせば届くところに。家庭用殺虫剤も、毒性の強いものがある。それらの殺虫剤は、人間には無害だといって売られているが、そんなことがあるのだろうか。直に虫が死んでしまうものなのに。また、DDTは脂肪にも蓄積される。食物を通じて体の中に入るからだ。合衆国の検査によると、どの食物からもDDTが検出された。

 これらの代償は人間に襲い掛かる。医学者ルネ・デュボス博士のこんな言葉がある。「明らかな徴候のある病気にふつう人間はあわてふためく。だが、人間の最大の敵は姿をあらわさずじわじわとしのびよってくる」。農民や化学者などに症状が現れる人もいる。神経系統を直に冒す化学製品の使用を止めない限り犠牲はなくならない。

 自然は逆襲する。薬を使うと免疫ができてくる。環境抵抗が行われ、より強い虫が生まれる。駆除できなくなってくる。大量の繁殖、人は前にも増して薬を撒くが、もう抗体が出来てきかなくなってくる。<私達はほかの防除方法をめざして研究するべきである。化学的コントロールではなく、生物学的コントロールこそとるべき道なのだ。暴力を振るうのでなく、自然の営みを望ましい方向に導くことこそ、私達の目的でなければならない・・・。>私達は今分かれ道にいる。行き着く先は禍か、あるいは地球を守る唯一のチャンスか・・。私達が意味のない危険にのりだしていることを知ったからには生物学的解決をめざすのだ。<自然の征服>という勝手な文句を作りだし、思い上がっていた人間自身を見直すべきだ。私達が武器の鉾先をむけていたのは昆虫ではなく、ほかならぬ私達人間の住む地球であった。今後我々は見直しから正しい道へと進んでいかなければならない。

 

 

*最後に

 実はこの本で洋書に挑戦するはずだったが、結局は私の怠慢が原因となり日本語版をあわてて読むこととなってしまった。(一応、12章位は読んだのですが・・)しかし、この本は洋書で読むべきである名著だと言えるし、例え環境や化学薬品や生物に関係する立場にない方々であっても機会があれば手にとって頂きたいと思っている。私自身もまた読み返す、洋書を読む必要があるだろう。「現代」のなかで、例えば薬品やら食品添加物やら色々なものの呪縛から逃れられないような世界のなかで、私達は生きている。今後も新たな薬品は生み出されるであろうし、科学技術や諸々が進歩すればするほど、新しく、技術の分だけ複雑な“副作用”が出てきてしまうはずだ。例えSilent Springが技術的に実用的でなくなってしまったとしても、意識の面では十分に価値のある本だといえる。私のこのページへ足を運んでくださり、尚且つここまで読んでくださる方はなかなかいらっしゃられないであろうが、もしどこかでSilent Springを目にすることがあれば、少しでも興味を持ってくだされば、是非手にとって目を通して頂きたい。もしかしたら明日、あなたの住むその町で、鳥のさえずりが聞こえなくなってしまうのかもしれないのだから。

 

*参考文献など

・「沈黙の春」レイチェル=カーソン(新潮文庫)

・「人と思想137 レイチェル=カーソン」太田哲男(清水書院)

・「Silent SpringRachel CarsonMARINER BOOKS)   

 

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