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筑波常治教授の定年退職
筑波藤麿靖國神社宮司
 



 「早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会」發行の『教養諸學研究』第百十号(二〇〇一年三月)は、「志賀謙教授・筑波常治教授 定年退職記念号」となつてゐる。科學技術史及び農業史を專門分野とする筑波常治教授は、筑波藤麿(もと藤麿王)の長男にして、山階芳麿(もと芳麿王。財團法人山階鳥類研究所理事長)の甥にあたる。筑波教授は、早稻田大學の所謂「名物教授」の一人であり、緑色が大好きであつたことでも大變に有名である。即ち、服装の色調を緑色で統一し、眼鏡の縁も緑色。大學での連絡掲示も緑色地の用紙に緑色のペンで字が書かれてゐたといふ。住所も東京都***市緑町であるのであるから、實に徹底したものである。なを、いにしへの「麻雀」好きな早大生には、筑波教授の擔當する授業を全て履修することを「りゅーいーそー(緑一色)」と稱する隱語まであつたとの由である。
 ところで、筑波教授の父、筑波藤麿は、敗戰後、長らく靖國神社宮司を勤めてゐた。その在任中、昭和四十五年(一九七〇)六月三十日、靖國神社總代會で、青木一男大東亞相の強硬な主張によつて極東軍事裁判A級戰犯を靖國神社に合祀する方針が決められた。ただし、合祀の時期は宮司に任せる、とされた。極東軍事裁判A級戰犯を「戰爭責任者として合祀しないとなると神社の責任は重いぞ」といふ青木一男による脅迫まがいの主張に對して、筑波藤麿宮司は、「ご方針に従う。時期は慎重に考慮したい」と答へ、實施を延ばし、結局、在任中には極東軍事裁判A級戰犯合祀を行はなかつた。
徳川義寛『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(岩井克己 聞き書き・解説。朝日新聞社、一九九七年二月)、一八〇〜一八二頁
 しかし、靖國神社宮司が****に代つて間もなく、昭和五十三年(一九七八)十一月(十月)、秘密裏に極東軍事裁判A級戰犯合祀が實施された(それが新聞に報道されたのは翌年四月)。さらに、昭和六十年(一九八五)八月、中曾根康弘總理大臣が靖國神社への「公式參拜」を行ひ、日本國の内外に問題が生じるに至つたこと、既に周知の通りであらう。
 靖國神社へのA級戰犯合祀を行つた****宮司は、『入江相政日記』によると、宮内廳に、徳仁親王[浩宮]が「御成年におなりになつたのだから靖國神社に御參拜になるべきだ」と言つて來たり、徳仁親王[浩宮]のオックスフォード留學に反對するといふ「馬鹿なこと」を言つて來たりしたといふ。また、****宮司は、新發現の『高松宮(宣仁親王)日記』を如何にすべきかといふ喜久子妃の相談に對しては、之を燒却すべきとの意見を述べてをり、歴史に對する認識に於ても著しく缺けてゐる人物であつたことが窺はれる。
『入江相政日記』昭和五十五年五月三十日、昭和五十八年三月十四日
高松宮妃喜久子『菊と葵のものがたり』(中央公論社、一九九八年十一月)、四八頁
 昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛は、この極東軍事裁判A級戰犯合祀について、「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と、****宮司の措置を批判的に語つてゐる。
「昭和天皇と50年・徳川前侍従長の証言」(『朝日新聞』一九九五年八月十九日)
 現在、總理大臣の靖國神社「公式參拜」表明に關聯する諸問題が、世間に於て再び喧しくなつてゐる。このやうな時節柄、靖國神社への極東軍事裁判A級戰犯合祀の事情について回顧することも、必ずしも無益なことではあるまい。それはともかく、「教師を廃業する」といふ筑波常治教授の今後の御健勝と御活躍を、心より お祈り申し上げる。
(平成十三年七月八日)





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第一次更新日時 : 2003.11.30.(平成十五年十一月二十四日付の附記を追加
本頁新装開設日時 : 2003.11.15.(誤字を訂正、一部を伏字とした
 
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