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『 日本の親王 ・ 諸王 』 より

 
親 王 宣 下 表
自文政元年 至明治十九年

前頁 「 親 王 宣 下 表 自安永元年 至文化十五年

親王宣下
年 月 日
親 王 前稱・幼稱 稱 號 等 出 自 備 考 典 據
文政四年(一八二一)二月九日 悦仁親王
としひと
登志比登
「高貴宮」
あてのみや
 光格天皇の七男 『毫埃』文政四年二月九日
『禁裏執次詰所日記』文政四年二月九日庚寅
少外記平田家記録 K61-54 『少外記平田家日次記』文政四年二月九日庚寅
文政四年(一八二一)六月七日 安仁親王
しづひと
「鍠宮」
をさのみや
 仁孝天皇の一男陣之儀は六月八日『毫埃』文政四年六月七日
『近代散状留』文政四年六月七日
『三寶院日次記』文政四年六月七日
少外記平田家記録 K61-54 『少外記平田家日次記』文政四年六月八日丁亥
文政五年(一八二二)八月二十二日 明道親王
あきみち
安岐美知
「精宮」
ただのみや
大覺寺門跡附弟光格天皇の養子
韶仁親王の二男
織仁親王の實子
得度、慈性親王
のち大覺寺門跡を、次いで輪王寺門跡を相續
『有栖川宮日記』文政五年八月廿一日壬戌
『職寅記』文政五年八月廿二日癸亥
文政六年(一八二三)九月二十三日 幟仁親王
たかひと
多嘉比登
「八穂宮」有栖川殿若宮光格天皇の猶子
韶仁親王の一男
のち有栖川殿を相續『有栖川宮日記』文政六年九月廿三日戊子
『禁裏執次詰所日記』文政六年九月廿三日戊子
少外記平田家記録 J14-16 『文政六年九月二十三日 有栖川幟仁親王 宣下御下行配分帳』
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』(九月十八日)
文政六年(一八二三)十月二十三日 清保親王「志津宮」勸修寺門跡光格天皇の養子
貞敬親王の實子(實は邦家親王の一男)
得度、
濟範親王
のち親王宣下を止められる。
のちの晃親王
 
文政十年(一八二七)三月二十五日 彰信親王
あきこと
「菊宮」輪王寺門跡附弟
光格天皇の養子
韶仁親王の三男
得度、公紹親王
のち輪王寺門跡を相續
 
文政十一年(一八二八)八月二十三日 愛仁親王
なるひと
奈留比登
奈流比登
「基宮」閑院殿光格天皇の猶子
孝仁親王の男子
 『職寅記』文政十一年八月廿三日庚寅
『禁裏執次詰所日記』文政十一年八月廿三日庚寅
『隆光卿記』「閑院基宮親王宣下雜誌」文政十一年八月十二日・廿三日
少外記平田家記録 J14-17 『文政十一年八月廿三日 閑院宮親王 宣下御下行配分帳』
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
文政十三年(一八三〇)八月二十四日 弘保親王
ひろやす
「健宮」妙法院門跡光格天皇の養子
孝仁親王の二男
得度、教仁親王『職寅記』文政十三年八月廿四日己酉
少外記平田家記録 K62 『少外記平田家日次記』文政十三年八月廿四日
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 I72 『天保元年正月 職事御用帳寫』
天保三年(一八三二)二月二日 嘉言親王
よしこと
與志古登
「多嘉宮」聖護院門跡光格天皇の養子
貞敬親王の實子(實は邦家親王の二男)
得度、雄仁親王
その後 還俗、聖護院宮
『伏見宮日記』天保三年二月二日
『職寅記』天保三年二月二日庚辰
『言成卿記』天保三年二月二日
少外記平田家記録 H206-1
天保三年(一八三二)五月二日 守貴親王
モリタカ
「能布宮」一乘院門跡光格天皇の養子
貞敬親王の五男
得度、尊常親王少外記平田家記録 J14-19 『天保三年五月二日 一乘院守貴親王 宣下御下行配分帳』
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 H206-1
天保四年(一八三三)四月八日 守脩親王
もりをさ
茂利遠佐
「萬代宮」圓滿院門跡光格天皇の養子
貞敬親王の[十]男
得度、覺諄親王
のち昌仁親王[梶井門跡]。
その後 還俗、梶井宮梨本宮
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 H206-2
天保五年(一八三四)八月二十六日 持勝親王
モチカツ
毛知加津
「慥宮」
さだのみや
曼殊院門跡光格天皇の養子
孝仁親王の實子(實は邦家親王の三男)
得度、
讓仁親王
『職寅記』天保五年八月廿六日戊午
『禁裏執次詰所日記』天保五年八月廿六日戊午
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 J10-79 『外記内記別分配』
天保六年(一八三五)九月十八日 統仁親王
をさひと
於佐比登
「煕宮」
ひろのみや
儲君仁孝天皇の四男のちの
孝明天皇
『基豐公記』「天保六年九月十八日儲君立親王宣下備志」天保六年九月十八日
『聰長卿記』天保六年九月十八日
『言成卿記』天保六年九月十八日
天保六年 立親王雜記』天保六年九月十八日
『近代散状留』天保六年九月十八日
『三寶院日次記』天保六年九月十八日
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
天保七年(一八三六)三月五日 節仁親王
みさひと
「幹宮」
もとのみや
桂殿仁孝天皇の六男 『近代散状留』天保七年三月五日
天保八年(一八三七)十二月十日 成憲親王
なりのり
奈利乃利
「冨宮」一乘院門跡仁孝天皇の養子
貞敬親王の實子(實は邦家親王の四男)
得度、
尊應親王
のち尊融親王[青蓮院門跡]。
その後 還俗、朝彦親王中川宮賀陽宮久邇宮]。一時 親王宣下を止められる。
少外記平田家記録 H206-4
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
天保十三年(一八四二)正月十四日 蓁子内親王
もりこ
「欽宮」
はやのみや
(蓁子女王)
寶鏡寺宮光格天皇の七女 『言成卿記』天保十三年正月十四日
『近代散状留』天保十三年正月十四日
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 J10-79 『外記内記別分配』
天保十三年(一八四二)九月十五日 淑子内親王「敏宮」
(淑子女王)
 仁孝天皇の三女のち桂宮を相續。『近代散状留』天保十三年九月十五日
『言成卿記』天保十三年九月十五日
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 J10-79 『外記内記別分配』
嘉永元年(一八四八)三月二十三日 貞教親王
さだのり
左多濃利
「睦宮」伏見殿仁孝天皇の猶子
邦家親王の一男(實は六男)
 『伏見宮日記』嘉永元年三月十五・廿三日
少外記平田家記録 H206-15
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
嘉永二年(一八四九)二月十六日 熾仁親王
たるひと
「歡宮」有栖川殿若宮仁孝天皇の猶子
幟仁親王の一男
のち有栖川宮を相續『基豐公記』嘉永二年二月十六日卯
『有栖川宮日記』嘉永二年二月十六日乙卯
少外記平田家記録 J10-48 『外記内記分配簿』
少外記平田家記録 H206-16
少外記平田家記録 J10-91 『外記内記別分配 畧簿
嘉永五年(一八五二)六月十四日 順子内親王
よりこ
與利
「女一宮」
(順子女王)
 孝明天皇の一女 『孝明天皇紀』巻四十四 嘉永五年六月十四日癸巳
『言成卿記』嘉永五年六月十四日
少外記平田家記録 H206-19
安政五年(一八五八)三月二十七日 嘉彰親王
よしあき
與志阿喜
「豐宮」
ながのみや
仁和寺御室仁孝天皇の養子
邦家親王の[八]男
得度、純仁親王
その後 還俗、嘉彰親王仁和寺宮東伏見宮のち彰仁親王小松宮
『言渡』安政五年三月廿六日・廿七日
安政五年(一八五八)十月二十五日 能久親王「滿宮」
みつのみや
輪王寺門跡附弟仁孝天皇の養子
邦家親王の四男(實は九男)
得度、公現親王。のち輪王寺門跡を繼承。
その後 親王宣下を一時止められる。還俗、北白川宮を相續
『非藏人日記』安政五年十月廿五日丁卯
萬延元年(一八六〇)九月二十八日 睦仁親王
むつひと
武豆比登
「祐宮」儲君孝明天皇の二男のちの
明治天皇
『孝明天皇紀』巻百八 萬延元年九月二十八日戊午
『議奏役所記』萬延元年九月廿八日
『言成卿記』萬延元年九月廿八日
『輔世宿禰記』萬延元年九月廿八日
『實麗卿記』萬延元年九月廿八日戊午
『長順卿記』萬延元年九月廿八日
萬延元年(一八六〇)十一月二十九日 博經親王
ひろつね
比呂津禰
「隆宮」知恩院門跡孝明天皇の養子
邦家親王の[十二]男
得度、尊秀親王
その後 還俗、華頂宮
『孝明天皇紀』巻百九 萬延元年十一月二十九日戊午
『伏見宮日記』萬延元年十一月廿九日
文久元年(一八六一)四月十九日 親子内親王
ちかこ
知加
「和宮」
かずのみや
(親子女王)
 仁孝天皇の八女のち落飾、「靜寛院宮『孝明天皇紀』巻百十三 文久元年四月十九日丁丑
『言成卿記』文久元年四月十九日
少外記平田家記録 K61-132 『職明記』萬延二年四月十九日
文久四年(一八六四)正月二十七日 晃親王
あきら
濟範山階宮孝明天皇の猶子
貞敬親王の九男(實は邦家親王の一男)
もと濟範親王[勸修寺門跡]『孝明天皇紀』巻百七十六 元治元年正月九日辛亥
『野宮定功公武御用記』文久四年正月廿七日己巳
慶應二年(一八六六)二月九日 智成親王
さとなり
「泰宮」聖護院附弟孝明天皇の養子
邦家親王の[十三]男
得度、信仁親王
その後 還俗、照高院宮北白川宮
『孝明天皇紀』巻二百十一 慶應二年二月九日己亥
『伏見宮日記』慶應二年二月九日
『議奏言渡』慶應二年二月九日
少外記平田家記録 J10-51 『文久二年從正月 外記内記分配録』
明治四年(一八七一)三月二日 貞愛親王
さだなる
佐多奈留
「伏見敦宮」伏見宮繼嗣貞教親王の實子
邦家親王の[十四]男
※ もと孝明天皇の養子 ( 「敦宮」
のち伏見宮を繼承『伏見宮日記』明治四年三月二日
明治十一年(一八七八)八月二十六日 載仁親王
ことひと
「易宮」
(載仁王)
閑院宮孝明天皇の養子
邦家親王の[十六]男
 『公文録』明治十一年 宮内省之部
『皇親録』明治十一年
明治十一年(一八七八)八月二十六日 威仁親王
たけひと
「稠宮」
(威仁王)
有栖川宮繼嗣明治天皇の養子
幟仁親王の四男
のち有栖川宮を相續『公文録』明治十一年 宮内省之部
『皇親録』明治十一年
『皇親録』明治十九年
明治十六年(一八八三)二月十五日 博厚親王博厚王華頂宮明治天皇の養子
博經親王の一男
即日薨逝。『法令全書』明治十六年二月十五日 宮内省告示第一號
明治十九年(一八八六)五月一日 依仁親王
よりひと
定麿王
(依仁王)
小松宮繼嗣明治天皇の養子
邦家親王の[十七]男
のち東伏見宮家を創設『官報』明治十九年五月三日 宮廷録事
『皇親録』明治十九年

 
 


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更新日時 : 2005.12.19.
公開日時 : 2001.02.03.

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