05年証言集会B
日本軍憲兵隊通訳 永瀬隆さんのお話
  
                     2005.12.10 アジアフォーラム横浜証言集会

講演をする永瀬隆さん
1918年生まれの数え年で89歳


マイクを持ち、自己紹介をされた後、すぐに
アフマドさんとワン・ママットさんに深々と頭を下げ、謝罪した。たくさんの戦争被害者に会って、謝罪と償いをし、和解の道を模索してきた人は今でもなお、謝り続けている。
 「当時、現場にいたものとして、この方たちがどんな扱いを受けたかを60年たった今でも昨日のように思い出す。泰緬鉄道全般にわたり、あの惨劇の全貌を見ているのは私だけだろう。だから、、話さなければならないと思う」と次のように話し始めた。

泰緬鉄道に30万人のロウムシャ

 インドネシアから4万5千人、マラヤから8万5千人、ビルマから18万人、合計約30万人が、ロウムシャとして、強制徴用された。さらに、鉄道隊として1万2千人、連合軍捕虜6万8千人が、泰緬鉄道建設のために送り込まれた。
 熱帯の山岳地帯の環境の悪いところでの重労働が悲劇を生まないわけが無い。

土まんじゅうの墓るいるいと

 1945年9月、連合軍命令により、バンコクの日本軍終戦処理司令部から、泰緬鉄道の地理に明るいという理由で白羽の矢が立ち、志望した連合軍捕虜の墓地捜索隊の通訳に駆り出された。鉄道沿線に散らばる東南アジア労務者たちの無数の犠牲者の土まんじゅうを横目に見ながら、文字通りジャングルの土の根を分け、朽ち果てた木の十字架を目印に、捕虜の遺体探しに1ヶ月間没頭した。

線路の路盤に埋められた遺体

 捕虜の墓地数は220ケ所で、1万3千人の遺体を発見した。これらの遺体は、カンチャナブリーの2ヶ所の連合軍墓地に埋葬されている。
 その周りには労務者たちの丸木一本だけ立てられた土まんじゅうの墓がるいるいとある。そのように葬られたのはまだいいほうで、クワイ河に投げ込まれたり、線路の路盤に土の代わりに埋め込まれた遺体もあった。
 開墾された畑地からは遺骨が現れていると聞いている。

 『1976年、泰緬鉄道関係者の日本側と連合国側の有志がクワイ河で再会した。そのときに、連合国側の記者の一人から、「東南アジア各地から、労務者25万人以上をタイメンに強制連行しており、そのほとんどがまだ故国に帰還していないのではないか」と詰問された。
 
まったく、寝耳に水のショックであった。労務者たちは、かえるにパスポートをもたず、未だに泰緬鉄道の沿線で、掘っ立て小屋にうずくまっているのをわたしは知っている。私自身、他の泰緬関係者より実状はいちばん良く知っていると自負していただけに、その数はひどく応えた』(クワイ河捕虜収用所 現代教養文庫 社会思想社)より

「ロウムシャ」らの鎮魂を
     家族連れもいた

 その後、労務者たちの実態を調べ、祖国への帰国の手助けや生活援助などに取り組んでいる。クワイ河平和寺院をクワイ河鉄橋近くに建て、泰緬鉄道犠牲者を鎮魂している。
 カンチャナブリの駅のそばで発掘をしたときに子どもの遺骨が出たことがある。親に寄り添った小さな子の遺骨だった。何で子どもの遺骨がと役人は訝ったが、その頃、「ロウムシャ」たちは、家族連れで来ている者もいた。だから子供の遺骨が出てもおかしくは無い。今日、証言をしてくださるアフマドさんは、家族に付いて泰緬鉄道建設に行ったということだが、そういうこともあったと思う。
 日本の捕虜収容所をたずねたときのこと。雨季で雨が降っていた。竹を二つに割った床で屋根も無い小屋で熱病に罹った連合軍の捕虜が、20人から30人雨の中で震えていた。眼がとろんとしていた。青い眼はとても哀しく見えた。これが天皇の軍隊のすることかとそこではじめて軍隊に疑問を持った。
 連合軍の戦死者墓地はきれいだ。イギリス国花のバラが植えられて手入れされている。それに比べ日本兵の遺骨の扱いは本当にひどい。

今も弔われぬ日本兵の遺骨
  戦争責任もあいまいなまま

 インパール作戦の後、敗走する日本兵が、倒れ、白骨街道とよばれている。7000人の日本兵が埋まっていると現地の人が言っている所もある。厚生省の役人が来て、15名ぶんの遺骨を持ち帰った。靖国神社に参拝する前に、打ち捨てられたままの遺骨を弔うべきだ。小泉政権のこの4年間に、どれだけこの国は悪くなってしまったか。
 戦争責任、戦後処理をそのままにする無責任な国になぜなってしまったのか。責任を取らねばならぬあるお方が取らなかったことにその根源はある。
アジアでの戦争被害を知ってほしいし、 被害者の痛みがわかる国民であってほしい。

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「クワイ河捕虜収容所」 現代教養文庫 社会思想社
レオ・ローリングズ 絵と文    永瀬隆 訳
クワイ河平和寺院。元日本軍憲兵隊通訳だった永瀬隆氏がクワイ河鉄橋近くに1986年に建立。長瀬氏は捕虜との友好だけでなく、アジア人労務者の生活補償ににも尽力しているが、元鉄道隊員は機関車を靖国神社へ奉納することで武勲を誇った。(「日本の侵略」大月書店より)
建設現場に向かうアジア人労務者。連合軍捕虜よりも多数の労務者がタイや周辺諸国から送り込まれた。人集めの口車に乗せられたり、強制連行された人たちで、実数は把握されていない。
(「日本の侵略」大月書店より)

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