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南部アフリカ
第2回



  ●モノモタパ王国
  モノモタパ王国(1450年頃〜1629年)は、ジンバブエを中心にアフリカ南部のザンベジ川流域を支配した王国。ムタパ、ムニュムタパとも。 早い時期からポルトガルとの関係を深め、黄金の国としてヨーロッパでその名が知られた。ただし、実際には金だけでなく象牙・ビーズと織物の遠隔地貿易を 掌握することで栄えた。16世紀以降をマンボ王国と呼ぶこともある。1629年にポルトガルによって征服された。 なお、ジンバブエ共和国の世界遺産であるグレート・ジンバブエ遺跡に関して、かつてはモノモタパ王国と直接に結び付けて言及する資料が多かったが、 現在は両者の間に直接的な関係は無かったとの説が学会の主流となっている。

  ●トルワ王国
  トルワ国は、16世紀から17世紀にかけてのグレート・ジンバブエの衰退の中から興った。トルワ国は 1450年から1683年までジンバブエ高原のカミを拠点に存在し、繁栄の源は牛と金だった。カミの新文化はグレート・ジンバブエで見られた石造建築技術と 窯業スタイルを発展させた。石工たちはグレート・ジンバブエの精緻な石壁を作る伝統を洗練させていった。 カミ遺跡では儀式用の瓶、鉄・青銅の武器、銅製品、占いに使われた象牙の破片などが見つかっている。ヨーロッパや中国伝来の遺物は、 かつてカミが南部アフリカの貿易の中心地であったことを偲ばせる。 この王朝の時にヨーロッパ人との最初の接触があった。最初に訪れたヨーロッパ人はポルトガル人のアントニオ・フェルナンデスで、 1513年にジンバブエ高原に入った。 この地方は主として貿易を通じて長らくアラブの影響を受けていたが、このことはポルトガルの商業的利益および信仰と衝突することになった。 1670年代になるとジンバブエ高原にはチャンガと呼ばれるショナ人の軍事指導者による勢力が表れた。彼の軍隊はトルワ国を打倒し、 1693年にはポルトガル人をジンバブエ高原から駆逐、ロズウィ王国を建国した。

  ●ロズウィ王国
  1480年にムウェネムタパの地方の指導者の一人であったチャンガミレはモノモタパに対し反乱を起こし、独立国を興して、グレート・ジンバブェに首都を 置いた。モノモタパ南に位置して並存しながら、17〜18世紀はポルトガルとの交易により栄えた。ポルトガルはインド洋沿岸から内陸への侵攻を たくらんだが、1693年から1695年にかけてポルトガルとロズウィとの間で軍事衝突があり、ポルトガルは内陸の拠点から撤退した。 グレート・ジンバブェはチャンガミレ一族が収めるロズウィ王国の王都であったが、1830年代のズールー戦争により破壊された。






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