カラスを追って海外へ

2003年夏のイタリアとスペイン イタリアではロンバルディア平野西部でハシボソガラス二亜種の生息状況を探る。二亜種の交雑帯を調査できるか否かの下調べであったが、生態調査や捕獲でかなりの困難で予想された。スペインでは北半分の地域でハシボソガラスの生息数をセンサスをする。ユーラシア大陸西端と東端、地理的に遠く離れたハシボソガラスの生態や行動を比較してみたかった。呆れるほどハシボソガラスの生息数が少なく断念した。

2006年夏のサハリン(旧樺太)調査 ハシブトガラスの交雑帯調査が可能か否かを確かめることが目標だった。先行研究者の論文や著書でサハリン北部に日本系と満州系が混在していることが想定されていた。北部には悪路のために行くことができなかったが、生息数の推定、試験的採集ならびに宿泊施設などの下調べはできた。

2007年はサハリン島の全島での採集活動 南北約1000kmの長大な島の南端から北端まで一往復した。採集したハシブトガラスは80羽を越え、交雑帯を推定するための準備が整った。ところが頭骨標本を持ち帰り一年かけて詳しく分析したが、交雑帯とおぼしき証拠を得ることはできなかった。ロシア科学アカデミーの共同研究者がミトコンドリアDNAを分析したけれども。二つのグループに分けることはできなかった。交雑帯は幻であったらしく、調査研究の戦略的変更を迫られた。

2008年夏のトルコ サハリンの交雑帯調査が暗礁に乗り上げたので、転戦先を探し始める。観光旅行の片手間での調査である。ハシボソガラスの亜種であるズキンガラスがトルコには生息している。まだ、シリアが破産国家でなかったころで、胎動中のイスラム国は耳目を集める存在ではなかった。イスタンブールの世界遺産地区にはズキンガラスがねぐら集合していた。集合の様子は日本のハシブトガラスとはかなり違っていた。ズキンガラスはとても面白い調査対象であると確信する。しかし、現下のトルコでは鳥類の調査はかなり危険である。

2009年夏の大陸側極東ロシア (沢山写真があるのでa-dと四群に分けて紹介) 満州系ハシブトガラスの本拠地でのカラスの採集が可能になり、4000km以上をロシアンジープで走破し、90羽を越える満州系のカラスを採集した。滞在は二か月に及び、三週間ほどは採集活動に、五週間は頭骨標本作成作業に充てられた。帰国後、ロシア大陸側、サハリン島そして玉田克己の好意により借り受けた北海道の標本を比較分析した。従来のハシブトガラスのパラダイムを打破するまでに三年間を費やした。

2010年夏ドイツ 観光旅行の片手間調査であったが、イタリヤ、スペインと比較できるようになり、元祖ハシボソガラスCorvus corone coroneへの理解が深まった。ハシボソガラスの生息密度は日本には及ばないがイタリアよりはずっと高い。交雑帯を横切ったので二亜種を観察できた。

2011年春 対馬 環日本海の環の南に位置する凄い島である。朝鮮半島には満州系(和名はチョウセンハシブトガラス)が生息し、九州には日本系(和名はハシブトガラス)が生息しているという。対馬は半島と九州の中間に位置しており、このサイト編集者は二亜種が繁殖しているのではないかと想定している。他に繁殖しているハシボソガラス、冬季越冬のミヤマガラス、時折訪れるワタリガラス、日本でカラスの種数が一番多い土地である。

2011年夏 韓国 朝鮮海峡の幅は狭く、この程度の距離なら日々の集団ねぐらへの往復でノンストップで飛んでいる。ところが対馬に比べてカラスの生息数が極端に少ない。不時着できる島がない海峡を渡ることにカラスは心理的な抵抗を感じるらしく、日常的な海峡間の往来はない。韓国でのカササギの生息数はカラスをはるかに上回わる。昔からカラスがこんなに少なかったとは思えない。少なくなった原因は三つ。1990年代前半のカラス食の流行、2010年前後の鳥インフルエンザ流行そしてゴミ処分が野積みからクリーンセンターに変わったこと。南端の釜山から東海岸を北上し、38度線の南側を西進、ソウルを経由して釜山に戻る車窓からのラインセンサスで大まかなところは判った。