進化・種分化

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1. 進化・種分化のページは英文で発表した三本の論文の和文抄録で、わかりやすく編集した。高校生物レベルの知識があったら理解できる。
2. スマホ対応になっているが、図や表をスマホの画面では読み取れない恐れがあるので、パソコンの利用を勧める。
3. 各論文のOriginal Textへのアクセスは以下の通りである。
 計測形態論文(Postglacial colonization and diversification.....)はdoi 10.1007/s10336-016-1356-0 [Abstractは読めるがTextは有料*]
  *有料とは言っても著者の懐にお金が転がり込む訳ではない。自腹を切らなければならない立場の人は、PDFを中村純夫に請求できる。
 小変異論文(Phenetic analysis of skull reveals.......)はThe Russian Journal of Ornithologyのサイトを開いて2015Tom24をチェックし、  2015-1147を選択すれば1845-1858の部分に辿りつける。 [無料]
 樺太論文(Male-biased latitudinal cline.....)はdoi 10.3409/azc.59_2.177 [無料]

このページでは2006年春から始めた極東ロシアのハシブトガラス研究の成果を紹介する。 各論に入る前に全体像を。

高校教員を早期退職して樺太(サハリン)に向かった時、狙っていたのは樺太北部にあるというハシブトガラスの交雑帯であった。そこでは大陸系ハシブトガラス(亜種マンジュリカス)と日本系ハシブトガラス(亜種ジャポネンシス)が入り混じって生息し、交雑も起きていると先行研究者は予測していた。自分が描いていたプランは、step1:交雑帯の位置を確定する、step2:両亜種と交雑で生まれた個体の識別基準を確立する、step3:両亜種と交雑個体の生態を比較するというものであった。このプランに従って、2006年初夏に予備調査を行い、2007年初夏に全島でハシブトガラスを採集した。南北に長い島を南端から北端まで一往復しての採集で得た頭骨標本とDNA試料をもとに交雑帯の位置を確定する目論みであった。

ある生物種の分布が地殻変動で生まれた山脈や海峡により、または氷河期の到来で北方地域の個体群が消滅したことにより分断されることがある(隔離)。隔離された二つの個体群は時を経るにつれて相互に変異が蓄積されてゆき、形態、生態、行動が異なってゆく(亜種)。個体群を分離していた地理的、気候的隔離の原因が消滅したとき、二つの個体群が生息域を拡大させて、分布が重複するようになる場合がある(二次接触)。この時、接触域に交雑帯が形成される。鳥類で有名な交雑帯は、欧州中央部にあるハシボソガラス(全身真っ黒のCorvus corone corone)とズキンガラス(黒と灰色のツートーンカラーのCorvus cocrone cornix)によるものである。生物の名前は属名、種名、亜種名の順にラテン語で表記される。ちなみに日本のハシボソガラスはCorvus corone orientalisで亜種名が違う。欧州のハシボソガラスは最初に学名登録されたので、種名と亜種名が同一になっている。ユーロカラスは「わいが、元祖ハシボソガラスやでー」とふんぞり返っているのだ(嘘や!!)。
これらの亜種が接触する地域では交雑が起こり、交雑で生まれた子には繁殖能力がある(稔性)。これは隔離があまりに長期間続かなかったからである。人間の場合であれば、アフリカ南西部の原住民と南アメリカ南端の原住民は一番隔離が長く、10万年を越えると思われる。彼らの間で国際結婚が起きたら、カップルの間に子供が生まれるし、その子にも生殖能力があるだろう(「新大陸」発見の時代、アメリカ原住民の女性とスペイン人男性がこのことを証明している)。別居が10万年程度では、別種になるほどには変異が蓄積されないのだ。

樺太のハシブトガラスの交雑帯問題に話を戻そう。シーシェパードの傾向のある人ならカンカンに怒るだろうが、ハンターに協力してもらって銃により多くのカラスを捕獲した。DNA試料は翼筋より採取し、開腹して性別を判定した。大後頭孔のところで首を切断し、クリーニングして頭骨標本を作った。少なからずおぞましい作業だった。DNA試料は共同研究者A. Kryukovに提供し、ミトコンドリアDNAによる系統分析をしてもらった。頭骨標本は一時持ち出しして、形態学的分析を行った。形態学的に地域間の頭骨を比較した限りでは、樺太に交雑帯と思われるものは認められなかった。先行研究者がマンジュリカスであると見なしたような小さいハシブトガラスが少数認められたが、採集地に地域的な偏りは無かった。2008年末の段階で、当初の目論見であった樺太のハシブトガラスの交雑帯研究は頓挫してしまった。系統分析の結果は2010年に得られたが、樺太に二亜種が存在することの証拠にはならなかった。樺太には二亜種は存在しないらしいし、生息しているハシブトガラスが大陸系なのか日本系なのか不確実である。これが2回の樺太遠征で得たお粗末な成果であった。

ハシブトガラスの研究を前に進めるには、問題設定を新規に立て直し、研究対象地域を樺太の周辺に拡大する必要があった。交雑帯でなしに二亜種の分布域の確定を目標に、大陸・樺太・北海道のハシブトガラスの個体群を研究することにする。大陸についてはA. Kryukovの協力が得られて、2009年初夏に採集旅行が実現した。北海道については玉田克己より北海道標本の利用が許された。2010年の段階でアムール川中流域、下流域、ウスリィ川流域、間宮海峡の大陸側、樺太、北海道のハシブトガラスが比較可能になった。更に、2012年にはアムール川上流域の標本も入手できた。このようにして、ハシブトガラスの分布北限に展開する地域個体群間を比較することが可能になり、以下の画期的な新知見を得ることができた。
二亜種の分布境界は間宮海峡や樺太北部ではなく、宗谷海峡(La Perouse Strait)であること。
樺太のハシブトガラスはジャポネンシスではなく、マンジュリカスであること。
先行研究者が発見した樺太の小さなハシブトガラスは、大陸側で生まれた小柄なマンジュリカスが樺太に移出したもであること。
宗谷海峡を挟んで、ベルグマン・アレンの規則が成り立っていること。
極東ロシアの個体群間にはステップクラインが認められ、西から東に係数倍的に体が大きくなっていること。
分子系統分析で地域間の分岐が浅く「若い」種のように見えたのは、繰り返された氷期とOne United Refugiaの効果によること。
南北に長い樺太で雄の嘴に認められた緯度クラインはアレンの規則に関わるもので、渡りや繁殖生態の雌雄差が原因と想定できること。

KryukovによるミトコンドリアDNAを使用した分子系統学的分析は2012年に論文となった。ハシボソガラスでは幾つかの系統に明瞭に分岐しているのに、ハシブトガラスでは下図のように分岐が不鮮明であった。分岐点に書き込まれた数値は分岐の信頼性を示し、100なら完全確実、ゼロなら完全に当てにならないと考えたらよい。図中で大きな数値は済州島の標本と多地域の標本との分岐で、90と高いスコアになった。これだけがほぼ信用できる分岐で、他の分岐は投機的なレベル、信用を保留したほうがいいという結果であった。済州島は対馬や九州からは遠く、韓国本土から幅100km以上の済州海峡で隔離された島嶼であったために、ボトルネック効果が働いたらしい。
二種は同じ時期にカラスの他の仲間から分かれているのに、ハシボソは「年相応」に分岐が進行し、ハシブトは「若作り」に留まった。何故だろうか?答えにたどり着くには古植生学と形態学の支援が必要であった。


(1) 後氷期、ハシブトガラスによる北東アジアへの再植民と多様化を形態学的研究により解明
Nakamura S. & Kryukov A. 2016. Journal of Ornithology doi 10.1007/s10336-016-1356-0
Postglacial colonisation and diversification of the Jungle Crow(Corvus macrorhynchos)in its north-eastern frontier as revealed by morphological analysis.

昔々、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」という歌が流行った。"ちょっと前なら憶えちゃいるが、一年前だとチト判らねェなあ"の粋なアドリブから始まるのだ。ところで、アンタ、一万二千年前とか、八万年前とか言われて判りまっか?初めのは最終氷期が終わった時期、後のは始まった時期である。下図は最終氷期の真っ盛り、一万六千年前の東アジアの海陸の分布と植生分布を示している。太い実線は現在の海岸線で、細い点線は氷期の海岸線である。海水が蒸発して雪となって陸上に積み重なり、寒冷で溶けないのでどんどん大きな氷河になった。海水面が今よりも100mも低くなったので、日本海がほとんど内海状態に変わった。南の朝鮮・対馬海峡、北の宗谷海峡と間宮海峡が陸地に、地峡になってしまった。北海道にマンモスの化石が発掘されているのは大陸と北海道が陸続きだったからで、津軽海峡は狭くなっても海峡であり続けたので東北からマンモスの出土はない。こんなことを書くと、マンモスの化石を東北で探してみようと発奮する酔狂人が出てくるかもしれない(アンタほどじゃないけどと言われそう)。北方の海寄りの地域はツンドラやステップフォーリストに、大陸の大部分は砂漠かステップになって、森のカラス、ハシブトガラスは繁殖できなくなっていた。黄緑で塗られている地域は北方系の森林で、繁殖が危ぶまれる地域である。濃い緑で塗られた地域が照葉樹林中心の植生で、ハシブトガラス好みである。氷期にはこの地域にほとんどのハシブトガラスが避難していたと自分は考えている。最近の百万年間に氷河期は何十回も出現し(ギュンツ、ミンデル、リス、ウルムの四氷期だけではない)、下図のような状況が何十回と繰り返されたのだ。この図は東アジアの氷期の状況に不案内の欧米の研究者にとって良い手助けになった。この和文ページの読者にとっても役に立つと思う。。


さて本題に入ろう。ハシブトガラスを採集した地域を下図で把握して欲しい。北海道(Hok)、樺太(Sak)、間宮海峡の大陸側沿岸部(Tat)、ハバロフスク地域(Kha)、ウラジオストック地域(Vla)、アムール川上流域(Amr)の6地域個体群を比較している。北海道と樺太の間には宗谷海峡、樺太と大陸側沿岸部の間には間宮海峡、沿岸部と内陸3地域の間にはシホテアリニ山脈という地理的障害物がある。宗谷海峡は広く深い海峡で最終氷期が終わるとすぐに海峡に戻っている。間宮海峡は狭く浅いので、八千年前くらいまで地峡であり続けた。シホテアリニ山脈は本州がスッポリ入るくらいに大きく、自然は厳しく道路網が未発達の超過疎地域である。カラスの地域個体群はこれらの障壁により分断されている。内陸の3地域のうち、ハバロフスク地域とウラジオストック地域の間には障壁はなく、ウスリィ川沿いに平原が広がっている。アムール川上流域は川沿いにつながっているが、気候的には冬季の寒冷乾燥がより一層厳しい。この地域へのハシブトガラスの近年における分布拡大が地元のバードウォッチャーより報告されており、ハシブトガラスの新開地である。

 原論文では略記号が少し変更されていて、HokはHokk、SakはSakh、TatはTata、KhaはKhab、VlaはVladそしてAmrはZeyaになっている。
 更に、シホテアリニ山脈の西側3地域 Khab, Vlad, ZeyaをまとめたものをAmurと表記した。

広域比較では北海道、樺太、間宮海峡の大陸側沿海部、内陸3地域に分けている。
形態の分析で雌雄を分けて分析しているのは、性差がはっきりしているからである。亜種の区分で雌雄一括した扱いをしたVaurieは、誤った結論を出してしまった。下図は主成分分析という地域間での形態の差異を炙り出す統計手法を、雄に対して適用した結果である(雌でも基本的に同一の結果が出た)。頭蓋と嘴より8計測値を取り出して総合的に比較し、主成分1(全体的な大きさを反映)と主成分2(頭蓋と嘴の形を反映)をプロットした。内陸3地域(Wsa)、海峡の大陸側沿岸部(Tat)、樺太(Sak)が部分的に重なりつつほぼ水平に並んだ。これは内陸から樺太に向かうにつれてサイズが大きくなるが、頭蓋や嘴の形はあまり変わっていないことを示している。これに対して北海道(Hok)はほぼ樺太の下側に離れてプロットされていて、サイズはほぼ同じだが頭蓋と嘴が異なることを示している。極東ロシアの3地域群は体のサイズが内陸から樺太に向かうにつれて段階的に大きくなっている(ステップクライン)。北海道はこれらとは体のデザインが違う。この図は極東ロシアにはマンジュリカスが、北海道にはジャポネンシスが生息していることの証拠である。2亜種の境界は宗谷海峡であった。

主成分分析の上図で楕円で囲ってある内側にはそれぞれの地域群の95%以上の標本がプロットされている。Sak標本のプロットに注目してみよう。凡例では○はSak、●はout. Sakとなっている。前者は95%確率楕円内に、後者は確率楕円から外れた位置にプロットされたものである。●は樺太で採集されたが、樺太の大多数と異なった形態を持っているということで、outlier(外れ値)の略記号out.Sakと表記された。二つの●はWsaの楕円内にあり、樺太で採集されたけれど形態的には内陸3地域の特徴を備えていた事を示す。この●の解釈で一番簡明なのは、生まれと育ちは内陸3地域、若鳥の時に移出して樺太に渡って運悪く捕獲された個体であるというシナリオである。同一亜種の生息域内なので、移出先での定着に困難がないのであろう。
Nechaev(1991)はウラジオストック在住でマンジュリカスを見慣れていたので、樺太北部で採集した小さいハシブトガラスをジャポネンシスでなくマンジュリカスだと正しく判定できた。但し、樺太で採集した大柄なハシブトガラスを亜種ジャポネンシスと判断してしまった。無理もない、ウラジオストック地域にはこんな大きなハシブトガラスは生息していないし、偉大な鳥類学者Vaurie(1959)が「樺太には大柄なジャポネンシスが生息している」と報告していたのだ。その結果、樺太北部では2亜種が混在し、交雑帯があるかもしれないと推測することになる。この話に乗せられて、著者は樺太に交雑帯探しに出かけることになった。交雑帯は幻想であったことが明らかになったが、Alexey Kryukovや玉田克己の支援のお蔭で「災い転じて福となす」の展開になった。樺太の小さなハシブトガラスで、NechaevはVaurieの主張を部分否定した。四半世紀後、著者は樺太の小さいハシブトガラスでVaurieもNechaevも否定するに至った。否定の否定、弁証法的止揚である。

下図は雄/雌についてのロシア側三地域での体重の集計結果である。シホテアリニ山脈を越えると、間宮海峡を渡ると体重が100grも増えた。この大型化現象は寒冷乾燥の激しい内陸から、相対的に穏やかで安定した樺太に向かうにつれて段階的に起きた(ステップクライン)。ハシブトガラスの大陸系亜種マンジュリカスが、分布域を沿海州(Vla)から北に拡大してゆく過程で身体の基本設計は変えずに係数倍で環境の変化に適応したことを示している。実際、気温や降水量の季節的変動の偏差が内陸から樺太に向かうにつれて小さくなることがDIVA-GIS(グローバルな気象観測データによる環境解析)により確認された。


ヨーロッパ人はコーカソイドに属していて同類なのに、北欧の人は南欧の人より体が大きい。クマでもトラでも(北半球では)北方のものは南方のものより大きい傾向がある。ベルグマンの規則といわれるもので、寒冷適応には体を大きくすることが有利なのだ。半径1.0と1.1の球を考えてみよう。球の表面積と体積を求める公式、覚えてますか?大雑把に考えれば、後者は表面積(放熱面)が1.21倍増えて、体重(発熱量)が1.33倍増える。放熱面の増加率より熱生産の増加率が大きくなるので、大きい方が寒いところでは有利になる。もう一つ、アレンの法則というのがある。体の突起物から熱が逃げてゆくのに着目した規則で、寒いところでは突起物を小さくして熱の放散を抑える、暑いところでは大きくして放散を促進する。耳とか嘴はアレンの法則が現れやすい。下図は樺太と北海道の雄/雌についての比較である。体重で100grも北側が大きく、嘴の長さは10%弱北側が短い。ベルグマンとアレンの規則が成り立っている。北側はマンジリカスで南側のジャポネンシスだから、体の基本設計が異なっているのだ。
この原因は2つある。最終氷期が始まった約8万年前に北海道、樺太、間宮海峡大陸側沿岸はハシブトガラスの空白地帯に変わってしまった。マンジュリカスの祖先は大陸側のずっと南に、ジャポネンシスの祖先は日本列島のずっと南に撤退した。2系統の最北の個体群は長期にわたり隔離されてしまう。そのような条件があれば、それぞれが大陸的、列島的デザインを完成させ、結果としてベルグマン・アレンの規則にあった体を獲得してゆくだろう。もう一つの原因は、後氷期に北方再植民が進展し2ルートの先端が宗谷海峡に達したが、海峡を渡るに至らなかったことである。毎年冬の初めと終わりに、樺太のマンジュリカスが大挙して海峡越えをしている。ジャポネンシスの地に冬の間は居候するけれど、北海道に居残ってジャポネンシスと所帯を持つようになる樺太出身者は皆無であるらしい。ハシボソガラスの場合でも居残り所帯持ちは確認されていない。


この論文紹介の出発点に戻ろう。最終氷期の頃の古植生図、濃い緑で塗られた照葉樹林の部分はハシブトガラスの避寒地(Refugia)であったと書いた。大雑把な地図で日本海側とか九州や四国の山岳部を濃緑色で塗っているが、実際は氷期のために北方樹林や裸地であったろう。実際の避寒地は黒潮の洗う太平洋沿岸部に限られていたかもしれない。地図をよく見てもらうと、日本列島の南部と陸地化した東シナ海がつながっていることに気付くだろう。この一つながりの沿海照葉樹林帯がハシブトガラスの避寒地で、大陸系も列島系も入り混じって生息した地域である。著者がOne United Refugiaと名付けたこの地域は、避寒の地であるとともに交雑の地でもあった。七万年近く続いた最終氷期の間、遺伝的な攪拌が進行したわけである。後氷期になると海面が上昇して避寒地は海面下に消え、かわって北方に生息適地が復活する。ハシブトガラスは大陸側と日本列島側の2ルートに分かれて再植民を始める。遺伝的に隔離され、変異が別個に蓄積してゆく。いつの日か次の氷期が始まった時、ハシブトガラスは南の避寒地に追いやられることになるだろう。ハシブトガラスはカラスの世界のシュジフォスなのだから。大きな岩を苦労して山の頂まで持ち上げた状態が、現在のハシブトガラスである。遺伝的、形態的分離が頂点に達している。次の氷期が始まった時、岩は谷底に転がり落ちてゆき、再び交雑が起きて後氷期に獲得した分離(多様化)の多くが振出しに戻る。こんなことをハシブトガラスは何十回も繰り返してきた。だから遺伝子分析で得られた系統樹が「若作り」になるのである。

これに比べてハシボソガラスは北方展開に有利なブレイクスルーを達成したが故に、ユーラシア大陸の制覇に成功したと著者は考えている。孵化雛の幼綿羽獲得がブレイクスルーで、この孵化直後からの防寒性の高さがハシブトガラスより高緯度での繁殖を可能にした。1000km程度(緯度にして10度相当)、繁殖北限が北側にシフトしている。シベリア東部でハシボソガラスは北極圏、北緯66度33分以北まで生息している。そこまで北側で繁殖できると、ここから西側に生息域を拡大することは難しくない。北緯60度のヤクーツク盆地からの西進ルートなら地理的障害は厳しくない。最終氷期が始まる前にハシボソガラスがシベリアを西に分布を拡大していたら、氷期の避寒地が3か所以上に出現することになる。3亜種への分化が可能になる。ハシブトガラスではどうだろうか?北緯55度の分布北限の個体群が西へ分布域を拡大しようとしても、西進ルートには山岳地帯や砂漠が控えている。シベリア中部以西への展開は不可能である。ハシブトガラスは南のカラスであり、ハシボソガラスは北のカラスと考えて大過はない。

(2) 頭骨小変異に基づいて2亜種の分布境界を確定
Nakamura S. & Kryukov A. 2015. Russian Journal of Ornithology 24(1147): 1845-1858
Phenetic analysis of skull reveals difference between Hokkaido and Sakhalin population of the Jungle Crow Corvus macrorhunchos.

頭骨小変異による個体群の類縁関係推定法は百々幸雄(どどゆきお)が開発したもので、人類諸集団に試みて成功した。下図のように、ヒトの頭骨には多くの小変異が認められている。百々は大後頭孔近くにある舌下神経管二分と眼窩の上縁にある眼窩上孔に着目して、世界中の諸集団の頭骨を調べまくった。集団間でこれらの変異の出現率には差があり、それに基づいて諸集団の系統図を作った。その結果はミトコンドリアDNAによる系統図と基本的に一致した。頭骨小変異は生存上有利でも不利でもなく(中立的)、それらの出現率は環境の影響を受けない。
日本人について言えば弥生時代以降、これら2形質の出現率は変化していない。ところが、頭骨の形は時代とともに大きく変化し、計測値は著しい変化を示した(顔つきが変わった)。弥生時代以降、日本列島には大量難民の流入はなく、遺伝子プールへの新規参加はゼロである。それゆえに、頭骨の計測値変化は100%環境によるものである。計測形態だけで亜種の区分や類縁関係の推定をするのは危険である。小変異は遺伝的基礎を持ち、自然選択に中立なので系統解析に好都合である。

ヒトは哺乳綱、ハシブトガラスは鳥綱と、高次の分類レベルで別々のグループに属しているので小変異の項目は少なからず異なる。カラスでも眼窩上孔は同様に確認できるが、舌下神経管は左右に1個ずつでなく5個も開いている。ハシブトガラスで使えそうな小変異は5項目ほどあったが、以下の3項目に絞って出現率を隣接地域間で比較した。SOFは眼窩上縁にある穴、SEPTUMは眼窩奥の窓にある仕切りの柱、PPBは頭骨の下側にあるピンホール状の穴である。多くの鳥では聴覚に関係する総耳管がこの位置に開いているのだが、ハシブトガラスてはこの梁骨の両側面に開いている。

北海道標本には幼鳥の頭骨が多かったので上記3形質の他に7形質についても成幼比較を行った。7形質は成長後に消失してしまう幼鳥特有の特徴であった。SOFやSEPTUMは成長に伴い出現率が増加していたが、PPBは幼鳥初期の段階には確定する形質のようで成幼間で差が無かった。

3形質の出現率を、雌雄別々に隣接個体群間で比較検定した(下表)。Hok/Sak, Sak/Tat, Tat/Wsa, Wsa/Amrの組み合わせのうち、有意差があったのはHok/Sakだけであった。Fisher's exact testによりこの隣接個体群間で、SEPTUMとPPBの2形質で有意差が確認された。
ロシア側の個体群間では頭骨小変異の出現率F(%)に差違が無いことから同一系統の集団(亜種マンジュリカス)、北海道は樺太との間で差違があるということから別系統の集団(亜種ジャポネンシス)という判断になった。
P:小変異が認められた標本数、O:観察した標本数、F:出現率(%)、P:危険率、ns:有意差なし。PPBの出現率ではデジタル的に1/0の差異が樺太と北海道の間に認められた。あればマンジュリカス、無ければジャポネンシスというほどに明瞭であった。

  Hok   Hok/Sak Sak   Tat   Wsa   Amr  
Traits P/O F P P/O F P/O F P/O F P/O F
Male (n = 9)     (n = 34)   (n = 19)   (n = 16)   (n = 18)  
SOF(眼窩上孔) 6/9 67 ns 24/33 73 9/18 50 10/16 63 8/18 44
SEPTUM(仕切り柱) 6/9 67 P < 0.05 7/34 21 7/19 37 4/14 29 10/17 59
PPB(総耳管小孔) 0/9 0 P < 0.001 30/31 97 17/17 100 16/16 100 18/18 100
                       
Female (n = 16)     (n = 30)   (n = 17)   (n = 22)   (n = 16)  
SOF(眼窩上孔) 10/16 63 ns 23/30 77 7/16 44 13/20 65 8/15 53
SEPTUM(仕切り柱) 11/15 73 P < 0.001 6/29 21 6/17 35 7/22 32 10/16 63
PPB(総耳管小孔) 0/16 0 P < 0.001 29/29 100 17/17 100 22/22 100 16/16 100

北海道標本についてPPBの出現率を繁殖期と非繁殖期で比較した結果、北海道と樺太との間で交雑が起きている可能性を検出した(下表)。秋の終わりに樺太から北海道以南にマンジュリカスが渡ってきて、春先には樺太に戻る。その数は半端なものではない。しかし、春先にはすべての越冬個体は樺太に帰ってしまうので、繁殖期の北海道にマンジュリカスはいない。

     
  幼鳥 成鳥 幼鳥 成鳥
  (n = 34) (n = 22) (n = 38) (n = 35)
採集時期 P/O    F P/O    F P/O    F P/O    F
繁殖期 1/18   6 0/9    0 1/26   4 0/16   0
非繁殖期 2/16   13 4/13   31 2/12   17 3/19   16

ところが、北海道で繁殖期に採集されたカラスのうち、幼鳥でPPBのあるものが雌雄各1個体捕獲されている。樺太から冬期に渡って来て居残っていたのか、北海道で生まれたのかは不明である。後者なら交雑の証拠になる。ひるがえって、5地域間比較の表で繁殖期の樺太にPPB無しの雄が1個体捕獲されている。北海道から渡って来て樺太で繁殖しているのかもしれない。



(3) 樺太では雄に限って嘴に緯度クライン
Nakamura S. 2016. Acta zoologica cracoviensia 59(2): 177-189.
Male-biased latitudinal cline of Jubgle Crows on Sakhalin Island.

2006年に始めた北方のハシブトガラスの研究、当初の目的はは樺太北部にあると想定されていた交雑帯の研究であった。Vaurieという高名な鳥類学者が博物館収蔵標本を研究して、北方のハシブトガラス2亜種の識別基準を1959年に発表した。亜種マンジュリカスとジャポネンシスは嘴長と嘴高により識別できる。前者は後者より小さく、測定値の範囲が重ならないというのである。分布域は前者は大陸、後者は樺太、千島、日本であるという。前世紀の後半に樺太で沢山のカラスを採集したNechaevは、全島に大柄なジャポネンシスが生息しているが、ごく少数のマンジュリカスが北部に生息していると1991年に発表した。Vaurieの部分否定である。
2亜種が北部に生息していたら当然のこと、交雑帯があるだろうということになる。著者は2007年に南北に長いこの島を南端から北端まで一往復して小刻みにハシブトガラスを採集した。地域的偏り無しに採集することで、どこに交雑帯があるかを確定できると期待していた。Nechaevが指摘したように小さいハシブトガラスが少数採集されたが、北部だけに偏っていたわけではなかった。山階鳥類研究所の標本を精査したら、小さいハシブトガラスが南部でも一個体採集されていた。交雑帯は幻想であった。小柄なハシブトガラスがマンジュリカスであることは確からしいとして、大柄のハシブトガラスは本当にジャポネンシスなのだろうか?

2009年に大陸側で大量にハシブトガラスを採集し、北海道標本も利用可能になって研究は進展した。先行研究者の作ったパラダイムを打破するのに苦労したが、2012年には謎は解けた。沿海州から間宮海峡、そして樺太に生息しているのはマンジュリカスであった。体のサイズは沿海州から樺太に向かってステップクラインを形成していた。小さいハシブトガラスは沿海州生まれで、成長してから樺太に移出した個体と考えるのが自然であった。これらは計測形態学的分析と表形学的分析に基づくもので、ミトコンドリアDNAの分析結果とも整合していた。3番目に公開されたこの樺太論文には「環を閉じる」という意味合いがある。樺太から出てより広い時空間を旅して解いた謎、その手法を樺太に持ち帰ってデータを再検討した。

表形学的分析では3つの頭骨小変異(SOF, SEPTUM, PPB)の出現を緯度との関係で調べた。緯度方向での偏りは認められなかった。雌雄間で出現率に差がないのは他の地域と同様であった。PPBに関しての結果は北海道との遺伝子交換の可能性はないことを示していた。

計測形態学的分析で測定した頭蓋の全ての形質(頭蓋長、頭蓋高、頭蓋幅、嘴との接続部の幅)で、緯度クラインは雌雄ともに認められなかった。嘴の計測では全ての形質(嘴長、嘴高、嘴幅、全嘴長、下顎測長)で緯度クラインが雄にのみ認められた。南から北に向かうにつれて、嘴のサイズが小さくなった。ハシブトガラスは何でも食べるジェネラリストで、雌雄で餌種が異なるという報告はない。雌雄間で差があるとしたら冬季の渡りであろう。ノルウェーの研究者Slagsvoldが1980年代にズキンガラスの越冬について報告していた。なわばりを持つ雄は繁殖地の近くで越冬する傾向がある。雌はほとんどが南に渡り、幼鳥も南に渡るという。残念ながら嘴の形質を比較することはしていない。

冬期には南部のものは日本に、北部のものは大陸側に渡りをすることが知られている。また、厳冬期でも島内にはハシブトガラスが残留しているという。こうした状況はノルウェーとよく似ている。なわばりを持つ雄が繁殖地近くで越冬しているとしたら、雄は厳冬期の寒冷に適応した形質を獲得する可能性がある。嘴の形は餌だけでなく、外気温にも対応して変化することが知られている。より気温が低く季節的変化も激しい北に行くほど、嘴が小さくなるというのはあり得る。雌や幼鳥は南の「別荘」生活なので、寒冷適応の必要がないらしい(オトコはつらいョのカラス版)。
下図は月平均気温の標準偏差(気温の変動の激しさ)を表している。濃い色の地域ほど気温の変化が激烈である。島内は、南から北に向かうにつれて薄い色から濃い色に推移してゆく。この気温の季節性は雄の嘴に認められる緯度クラインと符牒するように見える。