(ロゴ)承光殿

【 しょうこうでん Chéng guāng diàn 】


承光殿・正面


金代の「團城」に既に楼が築かれていたのを元代に改装、「儀天殿」と改名。
その後明代に建て直され、「承天殿」とされた。

その後、一旦は荒れてしまっていた「承天殿」を、康煕帝が建て直し、
乾隆帝が更に手を加えて現在の規模になる。



もとは皇帝・皇后の休憩所だったが、
淸光緖年間に西太后が「白玉佛」
(はくぎょくぶつ Bái yù fó)を納め、
仏殿となった。

「白玉佛」はビルマから伝えられ、
西太后に献上されたもの。
北京では珍しい東南アジアの
小乗仏教スタイルの仏像だ。

「大圓寶鏡」(だいえんほうきょう
Dà yuán băo jìng)の匾額も、
西太后の筆になるもの。


承光殿・内部


承光殿・對聯


殿内の2つの「對聨」(ついれん duì liàn)のうち、
手前のものは咸豐帝御筆。(「九陌紅塵飛不到、十洲淸氣曉來多」)

「帝都の娑婆っ気は(團城という禁苑には)届かず、
朝毎に仙境の清らかな気がやって来る」といった意。

「九陌」:「帝都の大通り」の意。
「紅塵」:「賑やかな市の塵」が原意だが、出家者が俗世間を指して言うこともある。
「十洲」:古代中国神話で仙人の住むという十の島。

奥の「對聨」は西太后の筆。(「七寶莊嚴開玉鏡、萬年福壽守金甌」)

「(北海の湖水は)種々の宝石で飾られた鏡台の玉鏡を開いたごとくして、
(西太后は?)万年長寿にして、国土(及び西太后による統治?)は磐石なれかし」
といった意だろう。
(「玉鏡」「金甌」はそれぞれ「湖水」「強固なる国土」の比喩だという。)