[ 第二部 応 用 編 ]

     

 

[68]  生物の進化と光合成の果たす役割 − メタン生成細菌のエネルギー獲得の仕組み

 
 原始呼吸に近いと推測される例として、メタン生成細菌(古細菌に分類されている)の仕組みを見てみますと大凡以下のようになっています。

 水素ガスから電子を引き抜く酵素ヒドロゲナーゼは細胞膜を貫いて固定され、この酵素は膜の外側で水素ガスから電子を引き抜いてシトプラズム内に伝達します。電子を抜かれて分解したプロトンが膜の外に残ることになります。


 シトプラズム内では炭酸ガスは、先ずメタノフランという大きな分子の末端に付加されて還元を始め、次いで運搬体はテトラヒドロメタノプテリンに換わって脱水と水素添加を繰り返し、最後には補酵素M(CoM)に結合して還元されメチルコエンザイムMという形になります。ここで複雑な酵素の関与があって炭酸ガスの最終的な還元物としてメタンガスが遊離されます。

 1分子の炭酸ガスがメタンガスに還元される過程で、外界の水素分子からから8つの電子が引き抜かれ、同時にシトプラズムのプロトン8つが消費されます。8つの電子の内4つは炭酸ガス中の結合酸素を受容体として水2分子を生成し、残り4つの電子はメタン生成に参画してその中に受容され、最終的には細胞膜外に捨てられます。

 複雑な道中過程を無視して結果のみを記載すれば以下のようになります。(酸化還元電位の計算に使用したデータを( )書きで示しました。)

 ( ΔGf0(CH4)=−50.84 [kJ/mol], ΔGf0(CO2)=−394.4 [kJ/mol], ΔGf0(H2O=−237.2 [kJ/mol] )

          4 H2 ⇒ 8 H+ + 8 e-   <E0out = 0 mV>
                      ↓
            CO2 + 8 H+ + 8 e- ⇒ CH4 + 2 H2O    <E0in = +169.5 mV>

 反応の総和は、

     CO2 + 4 H2 ⇒ CH4 + 2 H2O     <ΔG=−31.26 [kcal/mol]>

 このエネルギーはプロトンの実質的な汲み出しに使われていると思われますが、エネルギーの獲得過程を詳しく理解する為にはもう少し突っ込んだ計算が必要です。


 原始細菌の場合ペリプラズムが無く、膜外は環境と実質上区別が無いものとしますと、ヒドロゲナーゼにより電子を引き抜かれて生じたプロトンは環境に拡散してしまい、殊更に膜外の濃度を高めるまでには到りません。従って細菌の活動には拘わらず、膜外のプロトンの濃度(活量即ちポテンシャル)は一定(環境の pH 値)と見なされます。
 一方バクテリアの細胞質の容積は小さいものですから、内部のプロトンが消費されていくに伴い、プロトン濃度が低下しポテンシャルも下がります。従って外界の水素を炭酸ガスで酸化する反応が続けば、シトプラズムのプロトンの活量はそれだけ下がり、細胞内の酸化還元電位は次第に降下していくことになります。
 シトプラズムのプロトンの活量が下がり、水素ガスの酸化電位と炭酸ガスの還元電位が接近してきますと、水素ガスを炭酸ガスで酸化する反応は自発的には進まなくなります。即ち、少なくともその時点までには膜内外のプロトンのポテンシャルの差が ATP を合成するに足るだけの大きさになっていなければ、現実的なエネルギーの獲得は出来ないことになります。

 簡単のため、水素イオン(プロトン)以外の反応物質の活量は a=1 と仮定しておきます。プロトン濃度にペーハー表示を用いますと、水素ガスの酸化電位 Eout 及び、炭酸ガスの還元電位 Ein は各々 pH に対して以下のようになります。( F はファラデー定数, R=8.3145 [J/mol/K] )

     Eout=E0out−2.303RT(/F) pHout    Ein=E0in−2.303RT(/F) pHin

 ここで反応が止まる極限として、 Eout = Ein  の条件で膜内外の pH 差(ΔpH)を求めてみますと、

   ΔpH ≡ pHin−pHout= (0−0.169) * 96.5 / (2.3 * 0.00831 * 297) = 2.865

 となります。これより膜内外のプロトンの化学ポテンシャルの差 Δμ(H+) を求めますと、

   Δμ(H+) = 2.303RT ΔpH = 5.706 X 2.865 = 16.35 [kJ/mol] = 3.91 [kcal/mol]

 上記の数値は8倍しますと、先の総括反応式に併記した ΔG の値に一致しますから、酸化還元反応で放出されたエネルギーが、膜を隔てたプロトンのポテンシャルの差に置き換えられたことがわかります。


 理論的なエネルギー計算は上記の通りで、こうして形成された 「膜を隔てたプロトンポテンシャルの差」 を利用して、 ATPase により ATP を合成することになりますが、現実的な過程を推測する為には更に、細菌の実際の大きさに係わる問題を確認しておくことも必要です。

 (尚メタン生成細菌の ATPase は、真正細菌が酸化的リン酸化により ATP を合成する為に利用する複合酵素である、F0F1-ATPase とは違うもので、むしろ水素イオン汲み出しの為の H+ -ATPase に近く、その逆作動の形で ATP 合成が行われるものとされています。)

 今仮にバクテリアの大きさを胴回り直径1ミクロン長さ2ミクロンの回転楕円体で近似することにしますと、細胞質の容積 v は、

    v = (4/3)π(1μ) (0.5μ) 2 = 1.05x10-12 [cc] = 1.05 x 10-15 [リットル]

 この細胞質内にあるプロトンの個数を n としますと、アボガドロ数 A = 6.022 x 1023 と容積 v [リットル] とから、細胞内の pH は、

    pH = −log {( n / A ) / v } = −log { n * 1.59x10-9 } = 8.8 − log (n)

 となります。 即ち上式で n=1 と置けば分かるように、(このように小さな領域に特異的な現象ですが)、 細胞中にプロトンが1ヶあるだけで一気に pH=8.8 に下がり、細胞質内はそれ以上のアルカリサイドとしては、プロトンがゼロになる pH=∞ しかとれない ことになります。
 (このことはかなり重要な点で、この手の呼吸では細胞質内の pH を環境より上げることでプロトンのポテンシャルの差を作り出す訳ですから、pH を上げれないということは この種の細菌は外界の pH がアルカリサイドにあるような環境では生育出来ない ことを意味します。)

 とにかくこの大きさのバクテリアでは、上で導いたペリプラズムの水素ガス酸化電位とシトプラズムの炭酸ガス還元電位が等しくなるペーハー差 ΔpH ≡ ( pHin−pHout) = 2.865 の状態は実現できません。(シトプラズムのプロトンを全部汲み出さない限り、一つ残るだけでも ΔpH = 1.8 まででこれが限界)

 プロトンの数が一桁というような状態では、プロトンの出入りに応じてポテンシャルそのものも大きく変動しますから、平均値的な計算が出来ませんが、一例を計算してみますと以下のようになります。
 外部環境のPHが pH=7 であったとして、この細菌例の場合、細胞質のPHも環境と同じ pH = 7 であるとしますと、細胞内にはプロトンが 63ヶ 存在することになります。この状態から炭酸ガス 6 分子を還元しますと、プロトンは 15ヶしか残りません。仮にこの状態を基準としてスタートすることを考えますと、炭酸ガス1分子を還元した後ではプロトンが極小の 7ヶになります。そこで消費した分と同数の8ヶのプロトンが膜外から ATPase を通過して流入してくるとしますと、初めのプロトンが入る時点ではシトプラズムのPHは pH=7.95 ですが、8ヶ目のプロトンが入る時点では既に、それまでに流入したプロトン7ヶの影響で pH=7.65 に下がっていることになります。従ってプロトン8ヶの流入によりポテンシャルの開放として得られる合計のエネルギー量は、

  ΔG = Σ8Δμi = 5.706 x Σ8Δ(pH)i = 5.706 x 6.315 = 36.03 [kJ/mol] = 8.6 [kcal/mol]

 ATPase がどのようにして ATP を合成するのか知りませんので、流入出来るプロトンの条件も分かりません。(どの程度ポテンシャルの差があれば通過出来るのか、或いは連続して流入するプロトン何個で ATP が合成出来るだけのエネルギーがあれば入れるのかなどという条件のこと)
 従ってここでは仮に通過するプロトンの数には制約が無く、その開放するエネルギーの積算量が一定値(標準状態で 7.3 [kcal/mol] とする)を超えた時点で一つずつ ATP が出来ていくものとしますと、上記に近いケースを採れば、プロトンが8ヶ流入する間にどうにか ATP が1分子合成出来ることになります。

 [69」へ続く