[ 第二部 応 用 編 ]

     

 

[56]  細菌の呼吸 : 酸化的リン酸化について(その1)− ATP と NAD+ の詳細説明

 
 呼吸する細菌はエネルギー源となる水素供与体を酸化して、生体のエネルギー通貨と云われる ATP を合成しています。[14] 節では従属栄養細菌にとって呼吸代謝の前半部に当たる、基質レベルの反応過程に重点を置いて解説しました。本節以降では呼吸代謝の要となる呼吸鎖の部分、即ち電子伝達鎖を利用した 「酸化的リン酸化」 と呼ばれる過程について詳しく説明します。
 (尚本章では主として従属栄養細菌に典型的な呼吸鎖を対象として解説しています。独立栄養細菌の場合には、水素供与体は直接外界のエネルギー源から取り込みますから、呼吸鎖の過程が呼吸代謝の全てということになります。独立栄養細菌の呼吸に於ける特異的な側面については次章で取り扱うことにします。)

 [11] 節と重複する部分もありますが、先ず始めに ATP についてもう一度詳しく説明しておきます。
 ATP は、アデニン,リボース,リン酸の3分子からなる非常に反応性の高い化合物で、エネルギーを供給する際には、高エネルギーリン酸結合を一つ開放し、ADP と無機の正リン酸 Pi を生成する過程で、標準状態換算 7.3 [kcal/mol] のエネルギーを遊離します。
 (一般論として、エネルギーの放出量は反応系に関与する物質の活量に依存します。ATP が加水分解反応する環境では、通常 ATP が ADP の10倍程度濃度が高く、 Pi も少ないので、ATP が分解する時の実際のエネルギー放出量は ΔG = −10 〜 −11 [kcal/mol] 程度になるとされています。)

 尚、リン酸の高エネルギー結合(無水物結合)は、加水分解により通常のリン酸エステル結合の2〜3倍大きなエネルギーを遊離する結合ですが、エネルギーが高いのは負に帯電したリン酸基同士が至近距離にあって、静電エネルギーの反発が起こるなどしている為です。即ちリン酸基の結合として相対的にエネルギーが高いということは、それだけ結合が不安定な状態にあることを意味しています。

 ATP に於けるリン酸基の高エネルギー結合は、他の共有結合と比較して結合エネルギーの絶対値が特に大きいという程ではなく、エネルギーの大きさ自身はむしろ中間的で、他の反応に共役し易いレベルになっていると言えます。一方エネルギーレベルが幾らか高いということは ATP の高エネルギーリン酸結合は相応に不安定で切れ易いということを意味し、そのことが容易にエネルギーを遊離し反応性に富む、というエネルギー媒体としての ATP の機能を支える裏付けともなっています。
 (ホスホエノールピルビン酸のように結合エネルギーが大きいものでは、却って不安定になり過ぎて、共役、保存、運搬などの諸機能に的確に対応出来るかという不安が生じますから、 ATP は中庸を行くことで至便性を高めエネルギー通貨として遍く使用されるようになったものでしょう。)

 ATP は生体に於いて必要な反応に共役して酵素的に分解し、そのエネルギーは生体反応を推進する形で使用されます。(ATP は不安定ですから放っておけばいずれ分解してしまいますが、他の反応に共役しない非酵素的な分解ではエネルギーは熱として放散されます。)
 エネルギーを放出した ATP は、通常 「アデノシン二リン酸」 (ADP) となります。 但し共役する反応がより多くのエネルギーを必要とする場合には、 ATP は末端ではなく2段目のリン酸基で加水分解して AMP とピロリン酸(PPi)に分解し、ピロリン酸が更にオルトリン酸2分子に加水分解することで、2ヶ所の高エネルギーリン酸結合を一挙に解放して、2倍のエネルギーを供給することも出来ます。( AMP は 「アデニル酸キナーゼ」 によって ADP に戻されます。)

 ADP は呼吸による 「酸化的リン酸化」 や光合成による 「光リン酸化」 の過程では、活性化された酵素 ATPアーゼ (ATPase) により、無機の正リン酸( Pi )が取り込まれて ATP に再生されます。

 (第2章で説明したように、「発酵代謝」 に於ける 「基質レベルのリン酸化」 では、転移酵素キナーゼにより、有機物から高エネルギー結合のリン酸基が ADP に直接移植されて ATP が合成されたり、基質の高エネルギーチオエステル結合のエネルギーが解放される反応に共役して、ADP と Pi から ATP が合成されたりして ATP が再生されます。)


 
 代謝経路で脱水素して有機物を酸化したり、逆に水素を添加して還元したりするばかりでなく、電子伝達系では水素供与体として振る舞うなど頻繁に登場する { NAD+/ NADH }系について、その分子構造と水素運搬の仕組みを以下に掲げました。
 NADP+ は NAD+ のリボースに付く水酸基が1ヶ所リン酸基に置き換わっただけの違いです。( R で書かれている部分は酸化還元に関係しない部分で、両式に共通となりますから NADH の方では省略してあります。)
 この反応を "地球上で最も重要な酸化還元反応" と呼ぶ人もいます。

 NAD+ は水素( H )2原子を受け取った場合、水素1原子は分子内に付加し、もう1原子の水素からは電子のみを取り入れて NADH に転移します。従って反応の結果 NADH の外にプロトン1つが残ります。

 NAD と NADP の使い分けについては、概ね以下のように説明されています。
 NAD は主として有機物の異化代謝の過程で酸化剤として働きます。従って酸化型がスタンバイの状態ですから、生体内では大半のものが酸化型として存在しています。脱水素した NADH は電子伝達系で電子供与体となり NAD+ に再生されます。
 一方 NADPH は主として生合成の過程で還元剤として働きます。従って還元型がスタンバイ状態で、生体内では NAD とは逆に、圧倒的に多くのものが還元型を採って存在しています。NADPH は有機物の合成反応に共役して水素を供与するだけでなく、白血球では酸素を還元して活性酸素を生成し病原菌を殺菌するなどにも利用されています。  (白血球の殺菌作用については補足ページでも説明しています。)
 NADP+ となったものは、循環的な酸化経路である 「ペントースリン酸回路」 などで NADPH に再生されます。尚光合成能力を持つものは光合成の明反応によっても NADPH が再生されます。

 { NAD+/NADH } 系の酸化還元電位は -320mV と低いもので、異化代謝系で比較的大きなエネルギーが解放される場合に、酵素に利用されて反応に共役し脱水素します。 NAD+ が介在する反応の脱水素では、基質の末端からと補酵素或いは正リン酸など反応に関与する他の分子の末端から、というように別の場所からそれぞれ一つずつの水素を引き抜く形になる場合が多くなっています。
 一方で例えば、クエン酸回路でコハク酸が脱水素されてフマル酸を生成する反応では、転移されるエネルギーレベルの関係で NAD+ ではなく FAD が使用されます。 FAD は、フラビンアデニンジヌクレオチドの略で、ATP の先端のリン酸基の位置にリン酸基に代わって 「リボフラビン」 (ビタミンB2)が結合した構造をしています。
 { FAD/FADH2 } 系の酸化還元電位は -219mV で NAD 系より少し高く、開放エネルギーが少なく NAD が使えないような反応で脱水素する役割を演じます。 FAD の脱水素は NAD+ の場合とは異なり、基質の同じ辺りの単純な部位から2つの水素を引き抜くような場合が主になっています。

 [57」へ続く