2005/2/23
1991/12/5 世にも妙な物語
「海亀のスープ」


   雑誌記者・直子   木内みどり   
   洋画家・芝山泰司  天本英世   
   男         いかりや長介   

■直子の部屋


朝刊を読んでいた直子は、大きなあくびをしながらTVをつけた。


 「…ただいま入りましたニュースです。
  洋画家で芸術院会員の芝山泰司さんが亡くなりました。
  今朝早く、自宅アトリエで首をつって死んでいるのを家の人が発見しました。
  遺書などは残っておらず、発作的な自殺ではないかと見られています。」


直子は画面に釘付けになった。
昨日、直子は芝山に会ったばかりだった。


 「芝山さんは昭和38年に、40歳で日本洋画壇にデビュー。
  力強い作風は海外にも広く認められ、世界的な画家として活躍していました。
  芝山さんの自殺の動機について、周囲の人たちは全く心当たりがないと
  言っており、大き謎として波紋を投げかけそうです。」




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■雑誌社


編集長「直子、おまえ昨日、芝山先生と一緒にメシ食ったんだろ?」


「はい。日曜版の特集の打ち合わせで。」


「そのとき何か感じなかったか?
 自殺する予感とか。そう、雰囲気とか」


「んー、雰囲気…。」


昨夜のことを思い返し、思い当たるキーワードを1つ口にした。


「スープ。」


「スープ!?」


「ええ。海亀の。」





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	■昨夜のレストラン


	静かなピアノ音楽流れるレストランで
	ワインを注ぎながら話を進めていた。

	
	「毎週日曜日の絵のページを楽しみにしている読者が、結構いるんです。
	 先生のように人気のある方の特集を組ませて頂けることになって、
	 編集部でも張り切っています。」

	
	「それは光栄です。
	 私もできる限り協力させていただきます。」


	ウエイターが最初の料理を運んできた。
	「メインディッシュの前のスープです。
	 本日は非常に珍しい海亀のスープを用意させて頂きました。」

	
	「ほー、海亀か!」


	ひどく感激したように声をだす。
	皿に注がれたのは黄褐色のスープだ。
	彼はそれを一口啜ると、突然こわばった表情になった。

	
	「…ちがう、ちがうよ、君! …これは、海亀じゃない。」

	
	「え?」






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「青くなった?」


「ええ。幽霊を見たみたいに。」



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	「本当に…、海亀の…、スープなのかね…」


	「セレベス沖で捕れました、アカウミガメと聞いておりますが。」

	
	「あぁぁ…、アカウミガメ…
	 本当に…、海亀なんだ…」


	「味に問題ありましたら、シェフを呼びますが。」


	無表情のままウェイターは言った。

	
	「これが…、海亀だったのか…
	 どうしておれは…、おれは…!」

	
	「どうなさったんですか!?」


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編集長「しかしスープを飲んだだけで自殺なんて。なんかありそうだな。」


「何なんでしょうね。」


「とにかく世間じゃ謎の自殺だと騒いでるんだ。
 芝山の自殺の真相を突き止めれば、大スクープだぞ。
 直子、追いかけてみろ。」














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■芝山の通夜


直子は芝山の通夜に参列した。
その中に、見覚えのある男を見つけた。
確か昨日、あのレストランにいただ。


	昨夜、レストランでスープを一口啜った後、芝山は青ざめて席を立ち、
	よろよろと歩き出した。

	
	「芝山先生、ちょっと待ってください。
	 今、車呼んできますから。」


	直子が彼の体を支えようとしたが、彼はその手を振り払った。

	
	「いい、一人にしてくれ!帰らせてくれ!うぅぅ…」

	
	「先生ー…」


	店の玄関まで追ったが、芝山は行ってしまった。
	ため息をついて直子が振り返ると、
	この様子を見ていた一人のと目が合ったのだった。


この男が、彼と何か関わっていると察し、
直子は歩き去る男の後を追う。
トンネルの入り口に差し掛かったところで呼び止めた。


「あのー、あのー。
 昨日あのレストランにいらっしゃいましたよね。

 少しお話を聞かせてもらえませんか。
 実は私、自殺の動機が先生の過去にあるような。
 それもかなり古い過去。

 なにかご存知なんですね。
 何があったんですか。」


男は何も答えず、背を向けて歩き去ろうとする。


「…海亀ですか?」


その単語を聞いて、男はぴたりと足を止めた。


「芝山さんは言いました。『これちがう、海亀じゃない』って」


男は息を呑み、振り返る。


「あなたも何か関係あるんですか?」


「私は昨夜、偶然彼を30年ぶりに見かけた。
 …それだけだ。」


男はそれだけを答えると、再び歩き始めた。
直子は男に走りより、問いただした。


「なにがあったんです!?
 人には話せないことなんですか?
 …犯罪?…まさか殺人?」


大声がトンネル内に響き、通行人が不審そうに振り返った。


「私は芝山先生が自殺する3、4時間前まで
 いっしょにいたんです。
 同じ海亀のスープを飲んだんです
 それなのにあの方はもうこの世にいない。
 どうしてなんです?
 私知りたいんです。人ってそんな突然死ねるんですか?

 じゃあ…、人って何なんです。」


「何なんだろう…。」









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■海のすぐそばに立つ男の家


薄暗いきれいな部屋に、大きなテーブルが一つ。
カーテン越しに波音が聞こえる。
男は2つのグラスに大きな氷を入れた。


「いいところですね。
「ずっとこちらにお住まいで?」


「つい一月まえから。
 それまではずっと、コロラドの山の中に暮らしていました。
 30年。」


「30年も。」


直子は長いテーブルの端に座った。


「海を忘れたくてね。でも…帰ってきてしまった。」


「あなたの忘れようとした海と、芝山先生の自殺と何か関係あるんですか?」


男は無言のまま、グラスに洋酒を注ぐ。


「あるんですか?」


相変わらず口の重い男は、遠くを見るように顔をあげ、
無言のまま長いテーブルの反対側に座った。
やはり何か、言いたくないことがありそうだ。
そしてそれは、芝山の自殺の真相のカギ。



「YESかNOか、それだけでも質問に答えてください」


男は眼鏡を外し、まっすぐ見つめて言った。


「YES」


直子は男の言葉をヒントに、推理しながら質問を始めた。


「海。あなたと芝山先生をつなぐものは、海。
 海の好きな男たちと、海亀。
 …あなたは漁師だった?」


「No」


「じゃあ船乗り?」


「YES」


男はためらいがちに答えた。


「ちょっと待ってください。
 芝山先生は40歳のときにデビューしたんでしたよね?
 そのまえはあの方も船乗りだった?」


男は首を縦に振った。


「女?
 船乗りだったあなたと芝山先生は、一人の港の女を同時に愛してしまった。
 その女は海亀のスープを作って、あなたたちのどちらかに飲ませた。
 たぶんあなたに!
 それを芝山先生が嫉妬してその女を…」


「女は関係ありません。」


推理を進めていく直子の言葉を遮るように、彼は言った。




そのとき強い風が窓から吹き込み、カーテンが揺れた。


「嵐?
 嵐であなたたちが乗ってた船が難破した?」


「あぁ…」


と辛そうな表情で頷いた。


「そしてどこかの島に流れ着いた?」


「…セレベスの沖でした。」


「でもそこは無人島で、食べるものが何も無かった?」


「何も無かった。」


「そこで海亀を捕まえて食べた。もちろんスープも作って飲んだ。」


「私は、海亀のスープは飲んだことはありません。」


「じゃあ、海亀のスープを飲んだのは芝山先生だけ?」


「NO。
 昨日彼は、初めて海亀のスープを飲んだはずです。」



直子は驚いて聞き返した。


「そんなことはありません。
 だって……
 どういうことなんです?
 飲んだことも無いのにどうして味が違うって。」


話が混乱しそうなので、これまでの話をまとめて確認した。


「船乗りだったあなたたちの船は難破して無人島に流れ着いた。
 そこでスープは飲んだんですね?」


「YES」


「でもそれは海亀じゃなかった。魚?」


「NO」


「じゃあ木の実?例えば椰子の実とか。」


「NO」


「じゃあ動物?ネズミとかヘビとか。
 …でもそんなもののスープと昨日のスープの味が違うからって
 自殺することはない…。」





男は震えるように息を呑みこんだ。






















「じゃあ何のスープ……」










!!!!!!!!!!!!!!!!!!



恐ろしいことを想像してしまった直子は、思わず手で顔を覆う。
指の隙間からゆっくり男の顔を見ようとする。



















「島にたどり着いたのは、…あなたと芝山先生だけじゃなかった…?
 もう一人いたんですか!?」



男は無言で頷いた。



直子はむせびおののきながら、核心を尋ねる。




「もしかしたらその…
 イヤー!!だって、そんな!」



震えながら、直子は恐る恐る次の質問をした。



「…その人は、あなたたちより先に死んだ…?」



男が静かに頷くと、
直子は喚き声をあげ、涙を机につき伏せてしまった。













「次は芝山の番だった。
 衰弱は激しく、死ぬのは目に見えていた。
 だから私は…。
 芝山は拒否しつづけました。
 食べなければ死ぬと何度言っても
 決して口にしようとしなかった。
 私は彼を、だましてでも救けようと思った。
 だからそれでスープをつくりました。」


「あなたはそれを、海亀のスープだと言って彼に飲ませた…?」


「昨日、芝山が海亀のスープを飲んで、味が違うと言ったのはそのためです。
 そして彼は、あの日、島で何を飲んだのかを知り…。
 …これが芝山の自殺の真相です。



 運命は皮肉です。
 彼にスープを飲ませた翌日、私と芝山はフィリピンの漁船に発見され、
 救けられた。あの日彼にスープを飲ませるのをもう一日我慢していたら
 芝山は死ななくてすんだかもしれない。
 私の一人が罪を背負えばよかった。」


 直子は声を絞り出して男に言った。 


「芝山先生が自殺したのはあなたの責任じゃないわ。
 だって、だって、あなたがスープを飲ませなかったら、
 彼は救けの船が来る前に死んでたかもしれないじゃないの!
 そうよ!
 何のスープが出されたか分からなかった彼の方が愚かなのよ!
 そうよ!!

 それを30年もたって、何のスープだか分かって、
 罪の意識で死んでしまうなんてもっと愚かよー!!
 もっと愚かよー!!」


「私にこの話をしたあなた、死ぬつもりだったんでしょ。
 死んじゃだめ。
 きれいなことも汚いことも、みんなひっくるめて人間なんだと
 私思います。

 人間は死ぬために生まれてきたんじゃない。
 人間は生きるためにつくられているのよ。そうよ。」




















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■翌朝

直子は、海辺に停めた車から編集長に携帯電話を掛けた。


「編集長?スープが自殺に関係してるなんてとんでもない
 思い違いでした。大スクープになると思ったんですけど、
 ひどいガセねたで一晩無駄にしちゃいました。

 真相?んー、さあー人間なんてわかりませんからね。
 たいしたことじゃないんじゃないですか。
 いいお天気。きれいな海。じゃあ。」


 晴れた海岸を歩く直子。
 直子が通り過ぎた後、近くで海亀の泳ぐ姿があった。