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日章旗の関係者は判明しました |
H214.25更新 |
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日章旗には、伊澤正君、「三ツ谷青年団」一同とある。 |
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日米軍人が参戦したのは、パラオ諸島、ペリリュー島戦。遺族会「水戸歩二会」が、同島で玉砕した日本軍の戦いの詳細を紹介しています。 |
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ソロモン諸島のガダルカナル島は、約63年前の昭和17年8月から翌年2月の日本軍撤退まで、日米の陸軍がはじめて四つに組み激闘を交えた地です。 |
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昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発し、日本軍は南方の島々に戦略上良好な飛行場を設営する必要に迫られました。そこで、当時無人島に近く、島の北側に平地があるガ島に急ぎ飛行場を設営しましたが、完成間近の昭和17年8月7日、米軍の奇襲攻撃で奪われています。 |
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明治22年2月11日大日本帝国発足(大日本帝国憲法発布)以来、負け知らずの帝国陸軍は早期に島を奪還するため、旭川歩兵第二十八聯隊(一木支隊)、124聯隊(川口支隊)、仙台第二師団、名古屋第228連隊等、3万数千名を逐次投入しましたが全て撃退され、戦死者2万数千名を数え、昭和18年2月に完全撤退しています。その後は、米軍を中心とした連合軍は、このガダルカナル島を反攻の拠点とし飛び石に本土に迫って来たことはご存じの通りです。 |
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ガダルカナル島に米軍が上陸した時点から、太平洋戦争の本格的な幕開けとなったのですが、日米両軍の陸海空とも、これほどの地獄絵図が展開されようとは、その時点では夢にも思わなかったことでしょう。 |
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