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日章旗の関係者は判明しました H214.25更新
この日章旗は、米国テキサス州ダラス市にお住まいの方が、元米国軍人の父親の遺品から発見したものです。いつ、何処で手に入れたかは不明です。平成21年2月下旬、「無条件で関係者に返還したい」と調査依頼がありました。日章旗には、「伊澤正君、三ツ谷青年団一同」とあります。「三ツ谷」と称される地域は
三重県四日市市三ツ谷町
静岡県三島市三ツ谷新田
■彦根市南三ツ谷  ■静岡県浜名郡新居町三ツ谷
■岐阜県高山市清見町三ツ谷
北海道爾志郡乙部町三ツ谷
栃木県真岡市中(中村地区の三ツ谷)
愛知県豊明市前後町(三ツ谷)
■長野県御代田町(北佐久郡)馬瀬口(三ツ谷)
など多くあります。
 はたして何処の伊澤さんでしょうか。読み取れる苗字は、伊澤、伊沢、横松、石和、関川、磯、添野、手塚、渡辺、山口、永島、橋などがあります。
平成21年3月10日、真岡市の伊澤様と判明しました。難しかったのは、「三ツ谷」は必ずしも地名でなかったことです。ご協力有り難う御座いました。
■21.4.24 遺品は持ち主に無事返還(新聞記事
三ツ谷青年団一同と記載された日章旗
日章旗には、伊澤正君、「三ツ谷青年団」一同とある。
日米軍人が参戦したのは、パラオ諸島、ペリリュー島戦。遺族会「水戸歩二会」が、同島で玉砕した日本軍の戦いの詳細を紹介しています。

ガ島戦概略
 ソロモン諸島のガダルカナル島は、約63年前の昭和17年8月から翌年2月の日本軍撤退まで、日米の陸軍がはじめて四つに組み激闘を交えた地です。
 昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発し、日本軍は南方の島々に戦略上良好な飛行場を設営する必要に迫られました。そこで、当時無人島に近く、島の北側に平地があるガ島に急ぎ飛行場を設営しましたが、完成間近の昭和17年8月7日、米軍の奇襲攻撃で奪われています。
 明治22年2月11日大日本帝国発足(大日本帝国憲法発布)以来、負け知らずの帝国陸軍は早期に島を奪還するため、旭川歩兵第二十八聯隊(一木支隊)、124聯隊(川口支隊)、仙台第二師団、名古屋第228連隊等、3万数千名を逐次投入しましたが全て撃退され、戦死者2万数千名を数え、昭和18年2月に完全撤退しています。その後は、米軍を中心とした連合軍は、このガダルカナル島を反攻の拠点とし飛び石に本土に迫って来たことはご存じの通りです。
 ガダルカナル島に米軍が上陸した時点から、太平洋戦争の本格的な幕開けとなったのですが、日米両軍の陸海空とも、これほどの地獄絵図が展開されようとは、その時点では夢にも思わなかったことでしょう。
遺品と調査のヒント
 調査中の遺品は、米軍第27歩兵聯隊第二大隊【中隊は、E Company かF Company】に所属していた米軍将校ウィリアム・リチャード・バーン少尉が、ガダルカナル島戦の戦利品として持ち帰った品々です。
 入手の月日は、米軍が本格的反抗を開始した昭和18年1月10日頃、
ガダルカナル島Galloping Horse Ridge(ギャロッンク・ホース)(986高地、日本名称「見晴台」の攻撃時です。同少尉は、昭和18年1月10日から13日までの功績で、14日には中尉に昇任しています。
 戦い終えて60数年、戦争遺品は日米友好の証として、今ようやく返還されようとしております。現在調査中の遺品は、調査が困難なものばかりです。ご協力宜しくお願い致します。
調査に必要な参考情報
ガダルカナル島・陸軍派遣部隊一覧表
第17軍「ガダルカナル島」の防禦態勢
見晴台(ギャロッピング・ホース)の攻防
ガダルカナル島の地図
戦争遺品入手場所(見晴台付近が中心)
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